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2014.12.24

ラハイナ

捕鯨とともに発展したマウイ島の町「ラハイナ」

  • マウイ島ラハイナ周辺には、19世紀半ばからのハワイの経済を支えた捕鯨と砂糖産業の歴史が色濃く残っています。

 

ハワイ語で「残酷なまでの(灼熱の)太陽」を意味する Lāhainā の町は、マウイ島のほぼ西端に位置します。19世紀半ば、捕鯨の基地としてオアフ島のホノルルとともに栄えた町でした。その面影を残す町並みには一年中観光客が絶えませんが、特にクリスマスから3月にかけての冬の時期には、目の前に見えるラナイ島との間の海峡を泳ぎ回るザトウ鯨を求めて、ホエールウォッチングを楽しむ人達で賑わいを見せます。


その名が示すとおり、この町は山の風下にあり、太陽がジリジリ照り付ける海辺にあり降雨量は極めて少ないものの、西マウイにそそり立つプウククイ山などの峰々から流れ出る川と泉が、この地を潤して人々が住める環境を整えていました。地の利も良く、元々アリイにとって重要な居住地だったラハイナは、ハワイ島からオアフ島までを統一したカメハメハ大王が、1802年頃に家族とともに住んだことからも、歴史的にも王家の人々が住むのに適した地だったことが分かります。大王が住んだのは、2階家4室のレンガ造りの家だったそうで、ハワイで初めての西欧風の家でした。そして、1845年にカメハメハ三世によってホノルルが首都と定められるまでは、ラハイナが、ハワイ王国の首都であったことからも、この地の重要性がうかがい知れます。

西欧人来島の頃のラハイナの風景(町の案内板より)

ラハイナは、ホノルルとともに十九世紀半ばを中心にハワイ王国の経済を支えた捕鯨の基地として西欧人も多く住む町へと発展していきました。ハワイ諸島に捕鯨船が初めて来航したのが1819年。そして、初の宣教師の来島は1820年でしたが、ラハイナにキリスト教の宣教師が初めて住んだのは1823年でした。これらの西欧人の住んでいた石造りの家は、昔 Alanui Mōʻī =「王の通り」と呼ばれていた、町の中心街フロントストリート周辺に現在も残されています。

フロント ストリートに残る西欧人の家、ボードウィンハウス

パイオニア イン

港の真ん前に建つ古いホテル「パイオニア イン」は1901年に建築を始めましたので、王国時代のものではなくハワイが米合衆国の準州になって以降の建物なのですが、捕鯨の時代の光景をも彷彿とさせるたたずまいを感じさせます。因みに、1960年代まではラハイナ唯一のホテルだったとか。

パイオニア インに飾られている1843年当時のラハイナ港の絵

1859年のペンシルバニアでの石油の掘削開始以降、鯨油の価格は暴落し、1871年 には多くの捕鯨船がベーリング海峡の北で氷に閉ざされてしまう事故が起きて捕鯨は急速に減少し、代わって砂糖生産がハワイ王国第一の産業になっていきますが、ラハイナ周辺の状況も同様でした。1885年の官約移民開始後、日系移民もこの地域の砂糖農園の労働者として多く入植しましたので、町には本派(西)本願寺や浄土宗などのお寺が今でも活動をしています。


マウイでは、カフルイ近くのプウネネ地区でまだ砂糖生産を続けていますが、西マウイの山麓に広がる砂糖農園は既に消滅し、その面影はラハイナとカアナパリの間のサトウキビ列車が走っていた線路に、かろうじて残っているだけになりました。

ラハイナ浄土院

現在、マウイ島(郡)の政治経済の中心地は、島の北東部に位置するカフルイとワイルク。そして、近年開発されたビーチリゾートは、北からカパルア、カアナパリ、ワイレアと、日照時間が多く太陽の恵みの多い島の西側にありますが、ハワイ王国時代のこの島の中心地はラハイナでした。

 

 

付帯的な情報・発展情報

ラハイナからは目の前にラナイ島の東側が見渡せます。その南側にはカホオラヴェ島がありますが、この二つの島の間の海域をケアライカヒキ海峡と呼びます。ハワイ語のKの音を他のポリネシア語のTに置き換えると「テ アラ イ タヒティ」となり、The way to Tahiti の意味になります。
紀元後約千年から千三百年頃にかけてタヒチとハワイの間に双方向の交流があった時代、この海峡から真南に向かって双胴船のカヌーがタヒチに向けて出発していったと、考えられています。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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