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2015.11.28

マウイ島の通りの名

マウイ島の通りの名

マウイ島の道の名に、ハワイの文化と歴史を学ぶ

十九世紀始め、英国のロンドンで発行された太平洋の海図に、マウイ島は ”Mow’ee” と記載されています。クック船長やバンクーバー船長率いる船の船員や同行した学者が、島の住民から聞いた島の名が、このように聞こえたのでしょう。「マウイ」は、マオリの住むニュージーランドや、タヒチ、サモアなど、ポリネシアの島々に共通する神話の神の名でもあります。

マウイ郡の経済の中心地は、島の中央部の北側にある町「カフルイ」(Kahului) で、その西に位置する「ワイルク」(Wailuku) に郡庁舎があります。「カフルイ」は、ハワイ語で勝利とか成功を意味するようで、十九世紀後半から砂糖産業が隆盛を極めた頃、島内各地からキビを運ぶ鉄道がこの町の港に集中し、砂糖農園で成功した労働者が、活気を呈したこの町に家を買って移り住むようになったとか。

この町を廻ってみると、何故かハワイの神々の名が道路の名に使われているのに気づきます。ネイティヴ ハワイアンにとっての創世記とも云える神話「クムリポ」(Kumulipo) に出てくる四大神の「クー」(Kū)、「ロノ」(Lono)、「カナロア」(Kanaloa) 名を冠した道も在り、カメハメハ大王のお后で、マウイ島東部のハナ(Hāna) 生まれの「カアフマヌ」(Kaʻahumanu) の名を冠したショッピングセンターに接する道は「カネ」(Kāne) ストリートです。町や地区により、道の名のテーマを決めているところもあり、カフルイでは、ハワイに古くから伝わる神の名を一つのテーマとして用いたのだそうです。

カフルイの中心、カアフマヌショッピングセンター前のカネ通り

1958年、マウイ郡はある条例を制定しました。その条例では、道の名はハワイ語を使うこと、そして歴史的に相応しいものや、適切な意味合いを持つものでなければならない、と定められました。併せて、ハワイ語の発音に必須のオキナ (ʻOkina = ʻ =吃音を示す記号) とカハコー (Kahakō = 母音を伸ばし気味に発音する記号) の使用も義務付けています。ハワイの文化と歴史を後世に伝えるために、人々の生活に極めて近いところでハワイ語を使っていこうとする意志と、意気込みが感じられる法律の制定です。

 

マウイ島を象徴する別名は「カへキリ」(Kahekili) ですが、その名を冠した道路が、カへキリハイウエーです。

「雷」を意味するカへキリは、マウイの王として数世紀の間隔で歴史上に二人出てきますが、後に登場する王は十八世紀前半の生まれで、カメハメハ大王が島々を統一して王国を創り上げる直前まで、マウイばかりでなくオアフ島までをその手中に収めていた卓越した王で、カメハメハ大王が島々を統一していく際の強敵でした。カヘキリは、1794年に亡くなりますが、カメハメハ大王はそれを好機と捉え、翌年1795年にマウイ島を掌握した後、オアフ島に攻め込み、ヌウアヌパリの絶壁で最後の勝利を収めます

340号線「カへキリ ハイウエー」はワイルクの町から北へ伸び、今でも古きハワイを思い起こさせる「カハクロア」(Kahakuloa) の集落を通り、島の最北端へと続いていますが、ハイウエーとは云い難い、山中の狭く曲りくねった険しい道で、決してドライブをお薦め出来る道ではありませんので、念の為。

カへキリハイウェイの標識

カフルイ空港へ降りたち、島の南西部、ワイレアの高級リゾートを目指して車を走らせると、空港からキヘイ (Kīhei) の町の北端まで、311号線「モクレレハイウエー」が続いています。この道は、直線が続く広い道で、砂糖キビ畑の中に新しく造られた道路です。その名前からも、新しい道であることが解ります。モクレレ (Mokulele) は、飛行機を意味するハワイ語です。「モク」は島や船のことで、「レレ」は「飛ぶ」ことを意味します。飛ぶ船=飛行機。飛行機が飛ぶようになってから作られた新語です。貿易風の風上に向かってカフルイ空港に着陸する航空機は、このモクレレハイウエーを右下に見ながら最終着陸態勢に入っていきます。

 

さて、島の北西部に足を延ばすと、カアナパリビーチ リゾートの手前(南)に古都「ラハイナ」(Lāhainā)の町があります。この町の道には、ハワイ語ではない名前を多く見受けます。海に沿って町を南北に走る道は「フロント ストリート」。ラハイナの港に1901年から建つ、年代を感じさせる趣のあるホテル「パイオニア イン」に隣接する道は「ホテル ストリート」。そして砂糖工場近くには「ミル ストリート」など、英語の道の名が多く残っています。道の名をハワイ語にしようと条例が定められるはるか前、十九世紀に捕鯨基地と砂糖産業が盛んだった頃、宣教師や船員、商人などの米国人がラハイナに移り住み、長く生活を営んでいた名残です。

マウイ島の通りの名は、ハワイの文化と歴史が潜んでいる玉手箱のようです。

ラハイナの町を貫く中心道路、フロント通りの標識

この章のポイント

  • 固有の文化を残そうと、通の名の方向性を示したマウイ郡の条例は、二十世紀半ばには既に制定されていました。ハワイ州の他の市郡も同じような動きをしています。

付帯的な情報・発展情報

マウイ島を象徴する別名は、卓越した王の名を取って「カへキリ」(Kahekili) と云いますが、別の王の名から「ピイラニ」(Pi ʻ ilani) とも呼ばれます。この名はキヘイから南へ、ワイレアリゾートに向けてのハイウエーに残されていますし、ワイルクから南に下って島の西側に回り込み、ラハイナを通り、更に北のカパルア リゾートに至る道、ホノアピイラニ (Honoapi ʻ ilani) ハイウエーも、この王に因んだ名です。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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