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所用時間5min
2014.06.20

パウアヒ

カメハメハ大王の曾孫で、カメハメハ直系最後の王女「パウアヒ」
  • 西欧人来島後、病などでその人口が大きく減少したネイティヴ ハワイアン。その中にあって次世代の人々を育てようと学校を創り、その固有の文化を残そうと博物館を建てたビショップ夫妻の功績は大きかったと云えるでしょう。
     
  • 何故ワイキキの中心地にビショップ婦人の像が在るのか? その理由は、ロイヤル ハワイアン センターの土地が、カメハメハ校の所有であることにもよります。


王女の名は、バニース  パウアヒ( Bernice Pauahi )。高位のアリイ(首長)アブナー パキと、カメハメハ大王の孫にあたるコニアの娘として1831年(日本では天保2年)12月19日にホノルルで生まれ、大王の娘で叔母にあたるキナウの養女(ハナイ)として幼少の時期を過ごしました。

パウアヒ王女(ビショップ博物館の展示物より

パウアヒが生まれ育った時代は、カメハメハ三世の時代にあたります。三世は、次世代の王になるべき者は諸外国に如何に立ち向かうかを知るのが重要と考え、英語教育を重視し、マサチューセッツから来島した宣教師 Amos Starr Cooke 夫妻に依頼し、王族の子弟のための学校を創りました。学校は1839年に設立され、現在ハワイ州庁舎の建つ場所に1840年に校舎と寄宿舎が完成。当初の名は Chiefs’ Children’s School 、1846年には Royal School と名を変え、三世の後をついでハワイ王国の王、女王になる若き王子、王女が学んでいました。パウアヒ王女も、この学校での英語と西欧の教育環境の中で育ちました。

 

1846年、ニューヨーク州グレンズフォールズ生まれのチャールズ リード ビショップが来島。翌年ロイヤルスクールで知り合ったパウアヒとチャールズは、1850年6月、ロイヤルスクールで結婚式を挙げました。パウアヒは18歳。後にこの結婚は認められたものの、両親はこの式に参列していません。

ビショップ夫妻結婚当時の写真(ビショップ博物館の展示物より

ビショップ婦人となったパウアヒは、後にカメハメハの家系最後の王女として、病床の五世より、その後継者として女王になるべく指名されますが、承諾しませんでした。一方、カメハメハ系の王族の末裔として、両親や従姉のルース王女等から多くの財産と土地を相続することになり、1884年に癌を患い52歳で他界した時には、ハワイ全島の11%にも及ぶ土地を所有していました。婦人の遺言13条には「ハワイに、寄宿舎を伴う男女ための2校を設立しそれを保持し、名はKamehameha Schoolsとするように」と記されており、この遺言と財産を基にハワイアンの子弟のための学校「カメハメハ スクール」が、現在ビショップ博物館の在る周りの広大な敷地に創られました。


現在はカパラマの丘に移転し、他島にもキャンパスを広げており、ハワイの重要な教育機関の一つになっています。ハワイとポリネシアの自然史博物館であるビショップ博物館も同様、パウアヒが亡くなった5年後、1889年に婦人の追悼のためにチャールズ ビショップ氏により建てられました。ハワイアンの生徒達の教育と研修を一つの目的に、校内に建てられた博物館でしたので、当初 ”Kamehameha Museum” と名付ける案もありましたが、カメハメハ四世の寡婦であったエマ女王の推奨で、ビショップ夫妻の意思と情熱を尊重し、王女の名を採り”The Bernice Pauahi Bishop Museum”と称されることになりました。

 

1889年は明治22年にあたります。日本では、2月に大日本帝国憲法が発布され、7月には東京から神戸まで鉄道が開通した年でした。

サンフランシスコで撮影したビショップ夫妻
(ビショップ博物館の展示物より

西欧文化と英語を解した王朝の末裔、バニース パウアヒ ビショップ婦人は、人口が急激に減少していた同胞、ネイティヴ ハワイアンの若者の教育ために、自己の土地と財産を提供し、その資産は現在もハワイの子女の教育に大きく貢献しています。

 

その亡骸は、ホノルルのダウンタウンからヌウアヌ通りを山に向かった丘の上、マウナアラの王家の墓地に安置されています。1915年、93歳でサンフランシスコにて亡くなった夫君も、西欧人ながら、後に同じマウナアラに葬られています。

現在もビショップ博物館の敷地に残る
カメハメハ校の建物、ビショップホール

マウナアラのパウアヒが眠る
カメハメハ系の墓

マウナアラのチャールズ ビショップの墓

パウアヒ王女はワイキキの中心地、ロイヤル ハワイアン センターの中央に建てられた銅像に、その面影を見ることが出来ます。少女に本を読み聞かせている像です。日曜日にはロイヤルスクールにほど近いカワイアハオ教会に通って育ちました。胸に十字架を下げた婦人が少女のために読んでいるのは聖書なのかもしれません。

 

この一画に造られた清らかな水の流れるタロ芋畑とヤシの木々の風景は、十九世紀、ハワイ王国時代のワイキキを思い起こさせる風景です。

ロイヤルハワイアンセンターに在るパウアヒの像

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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