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2014.07.23

十九世紀のハワイは、八代の王が統治する王国でした

  • 王国にはロマンを駆り立てられる歴史がある一方で、その現実も知る必要があるでしょう。
     
  • 十九世紀のハワイ王国八代の王は、米英仏露の大国に翻弄されながら、自国を統治していたのでした。


十九世紀のハワイは、八代の王が統治する王国でした。時代はそれより遥か昔。マルケサス諸島から大海を移動してきたポリネシア人が既に住んでいたハワイに、紀元後1000年頃にタヒチの島々から新たな人達が移り住み、タヒチとハワイの間にはカヌーによる双方向の移動が数世紀続いたと、ポリネシア考古学者は考えています。ハワイには、タヒチの文化が根付き、その人々の上層に位置する首長を「アリイ」と呼び、その頂点に立つ人を「アリイ ヌイ」とか「モイ」と呼び、それらの首長が各島、もしくは大きな島の一部(モク)を支配していました。

 

アリイ ヌイやモイは西欧的な意味でのKing =王とは概念の違うものだと思われますが、各島には過去に優れた首長(王)が君臨した口頭伝承が残されており、その名が島々の別名として残されています。例えば、ハワイ島は「モク オ ケアヴェ」、マウイ島は「カヘキリ」、オアフ島は「カクヒエヴァ」、カウアイ島は「マノカラニポ」と云う具合で、首長の名で島を呼ぶ習慣が現在でも残されています。

 

さて、1778年、英国海軍のクック船長一行が、第三回の太平洋探検で、ハワイ諸島を発見したことにより、島々は西欧の航海者の知るところとなり、その影響で首長間の争いに変化が生じていきます。その中で台頭したのがハワイ島のカメハメハです。西欧人の知恵や武器も利用し、それまで、別々の首長が治めていたハワイ八島を統一し、王国を創り上げました。1795年にはハワイ島からマウイ島、オアフ島までがカメハメハ大王の手中に納まり、1810年にはカウアイ島まで八島全てが統一されました。

推定59歳のカメハメハ大王(写真提供:ビショップ博物館)

1819年の大王の没後は、その息子であるリホリホがカメハメハ二世として、1825年には、その弟カウイケアオウリが三世として王になります。王国には米国や英国の捕鯨船が多数来航し、三世の統治する十九世紀半ばは、米国への鯨油販売の中継基地、捕鯨船の補給基地としてハワイは栄えていきます。 その後、大王の孫にあたるアレキサンダー リホリホが1855年にカメハメハ四世に、1863年には四世の兄ロットが五世として王となり、1872年12月、五世の死をもってカメハメハの時代は終わりを告げます。


捕鯨の時代が過ぎ去った後、王国の経済の主体は砂糖産業へと移り、その間、ハワイ王国は、六代目のルナリロ王から、1874年には七代目のカラカウア王の時代へと移ります。二人ともカメハメハの子孫ではありませんが、王家の血の流れている人でした。米国への砂糖の輸出により国は繁栄を続けましたが、一方で西欧人が多くを占める砂糖農園主と貿易に携わる商人を中心とした経済界は、王権を揺るがすまでの力を持ち始め、カラカウアは王権に制限を加えられ、療養中のサンフランシスコで客死。そして、王国内には親米派の力が強くなっていきました。 兄の死を受けて最後の女王となったリリウオカラニは、二年間在位した後、米合衆国への併合を求める力に屈するように1893年の1月、王権を放棄せざるを得なくなり、一世紀弱続いた王国はその終焉を迎えました。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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