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所用時間5min
2014.07.24

国王は音楽家

ハワイ音楽、古典からモダンへの移り変わりに貢献したのはなんと国王だった!?

  • ハワイ現代音楽のルーツは讃美歌の影響を受けた
  • ハワイ王族が音楽に深く関わっていた
  • 代表的な音楽家がリリウオカラニ女王

先住民族音楽が西洋音楽と出合うとき

 民族音楽としてのハワイアン・ミュージックを原点にさかのぼっていくと、そこにはチャント、オリがあります。それはシンプルなメロディーを持った詠唱で、パフと呼ばれるドラムや、イプなどの打楽器が刻むビートに乗せて、あるいは一切の楽器を排除したアカペラで唄われていました。西洋文明と関わる以前(18世紀まで)のハワイにあったそのような伝統音楽と、18世紀以降のウクレレやスラック・キー・ギター、スティール・ギターの音色とともに楽しむハワイアン・ミュージックとの間には、音楽的に大きな飛躍があります。同じハワイの音楽ながら、大きく違う二つの音楽をつなぐもの、橋渡しをするものは何か。それはハワイにキリスト教とともに渡った賛美歌でした。英語でHymn(ヒム)という讃美歌はハワイ語でHimeni(ヒメニ)となり、ハワイ語の歌は讃美歌の影響を強く受けた旋律を持つようになっていきました。ではその時代にオリジナルの音楽を精力的に生み出したハワイアンの音楽家は誰だったのか?それは他でもない、ハワイ王国最後の君主となった歴史的人物、クイーン・リリウオカラニその人です。


 『クイーンズ・ジュビリー』、『サノエ』、『ヘ・イノア・ノ・カイウラニ』、『アヘ・ラウ・マカニ』、『アロハ・オエ』。これらはどれもリリウオカラニ(以下リリウ)によって書かれた楽曲で、今もハワイのミュージシャンによって演奏されます。リリウによって書かれた歌は全部で150曲以上も存在すると言われます。一国の君主が、ピアノ、オルガン、ギターを弾き、作詞作曲をした音楽家であったわけです。芸術を奨励した国王は世界史上に何人も存在するかもしれませんが、国王自身が音楽家であったケースがどれくらいあるでしょう?ハワイが歌と踊りの島と言われる所以はこんなところにもあるのです。


リリウオカラニの音楽的背景

 リリウオカラニが生まれたのは1838年。キャプテン・クックのハワイ発見から60年、カメハメハによるハワイ統一から28年、宣教師入植から18年、ハワイの価値観も政治も、そして音楽も大きく変化をとげた時代。4代前の高祖母に著名なハクメレ(チャント、唄を創作する人)を持つ家系に生まれ、兄に後の国王デビッド・カラカウアを持つ貴族階級で裕福な環境に育ちました。(兄のカラカウア、リリウ、妹のリケリケ、弟のレレイオホク、この4人の兄弟姉妹は全員自作の歌を残した音楽家)


 貴族の子供のための特別教育を受けたリリウは、若いころから音楽を好んで勉強し、楽譜の読み書きができるようになりました。当時のホノルルで楽しまれていた音楽はといえば、ワルツやポルカなどの舞踏会音楽と、日曜日の教会で歌う賛美歌。生活のなかで吸収したこれらの西洋音楽スタイルが、リリウの身体の中に流れるハワイ伝統音楽のハクメレとしての血と融合し、後に多くのオリジナル・ハワイアン・ソングを生み出すことになります。

 

 「歌をつくることは、私にとって呼吸するのと同じくらい自然なことです」
自伝のなかでリリウが書いている通り、10代のころから作詞作曲を始めました。1862年、23歳で結婚、その後音楽家として積極的に活動を開始、1866年にはカワイアハオ教会の教会コーラス隊の音楽監督兼オルガン奏者としての仕事を始めます。同年ハワイ国歌となった『ヘ・メレ・ラーフイ・ハワイ』を発表、楽譜がホノルルで販売されます。(レコード時代以前の当時、楽曲は楽譜で販売された。ちなみにハワイ国歌は10年後カラカウア作のハワイ・ポノイに変更された)
 ヨーロッパ音楽や賛美歌の影響を受けたメロディーと、ハワイアン・チャントに見られる自然をメタファーにする作詞作法から、1860年代のリリウの作品に彼女のスタイルを特長づける音楽的スタイルが確立されつつあるのが見て取れます。そんな彼女の創作ピーク期は1870年代(リリウ30代のころ)で、アロハ・オエを含む、リリウ作品全体の約半数の楽曲がこの約10年の間に創作されました。

 

 音楽を愛したひとりの貴族女性だったリリウは、1880年代に入ると、国王となった兄を補佐する摂政“リリウオカラニ”として、そして白人勢力による王国転覆の企てに合うハワイ王国最後のクイーンとして、波乱の人生を歩み始めます。そんな暗雲立ち込める未来を前に、リリウは兄カラカウアの妻クイーン・カピオラニとともに、英国へ船旅へ出かけています。この旅をきっかけに、『クイーンズ・ジュビリー』という名曲が生まれ、また、後のハワイアン・ジュエリーがもたらされることになります。この長い船旅の思い出を綴って、彼女はこんなことを書いています。

「海の上での長い時間をどのように使うかによって、その人の個性が表れるのはとても興味深いことでした。私自身はもちろん音楽に向かうのが自然の成り行きでした。幸せなときも悲しみのときも、いつだって音楽が私にとっての慰めですから。」
 


リリウオカラニの作品を集めたThe Queen's Songbook


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  • よしみ Nui だいすけ
    Daisuke Yoshimi
    担当講師

    【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
    facebook: https://www.facebook.com/NuiDaisuke
    公式HP: http://www.yoshimidaisuke.com/

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