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2016.04.19

アフウラ & マヒオレ

アフウラ & マヒオレ


鳥の羽で作られたアリイのケープとかぶりもの

  • ハワイの最高位アリイの象徴、アフウラとマヒオレに、美しい鳥の羽が数多く使われました

鮮やかな赤、山吹色、艶のある黒。ハワイの最高位に属する人達、アリイ ( aliʻi ) が身に着けたアフウラ(ʻahuʻula)と呼ばれるケープの特徴ある色合いです。アフウラは世界中の博物館等に数多く保管、展示されているとのことですが、ホノルルのビショップ博物館にはその内36着ほどが収められており、代表的な三色の他に、鶏の羽などで作られた渋い茶色や黒に近い色のケープもあります。同じく鳥の羽で作られたアリイがかぶる帽子を、マヒオレ(mahiole) と呼びます。ケープや帽子は、オラナ(olanā)やイエイエ(ʻieʻie)等の繊維を編んで形作られ、それを鳥の羽で覆って作られています。

代表的なアフウラの一つは、ビショップ博物館に保管、展示されているカメハメハ大王のもので、大きさは約140cmx260cm。そのほとんどがハワイマモ(Hawaiʻi Mamo、和名:キゴシクロハワイミツスイ)と呼ばれるハワイ島だけに住む鳥の、黄色い羽毛で作られ、十八世紀から十九世紀始めのものだと推定されています。

ハワイマモは、ほとんどが黒の羽で覆われた鳥で、腰の部分に少しだけ黄色い羽が付いています。ハワイ島にのみ生息し、且つ黄色い羽毛は僅少。その羽だけで、これだけ大きなケープを作ったのですから、極めて貴重で、アリイの権威と尊厳を象徴するものであったことが分かります。ハワイマモは絶滅し、最後に見られたのは1898年前後でした。

カメハメハ大王のアフウラ(ビショップ博物館の展示物より)
 

さて、2016年3月、ハワイアンの人々が待ち望んでいた、貴重なアフウラとマヒオレがハワイにお里帰りを果たし、ビショップ博物館に展示されています。それは、カメハメハ大王の伯父にあたる,ハワイ島のアリイ「カラニオプウ」(Kalaniʻōpuʻu)自身から、237年前に英国人の手に渡った、2万羽の鳥の羽から作られたものでした。


第三回の太平洋探検で、タヒチから北半球に北上してきたクック船長率いる二隻の探検船が、1778年1月にハワイ諸島を発見。カウアイ島とニイハウ島で水と食糧の補給を済ませ、北米大陸から北極海まで調査をした後、越冬のため南下し、11月にマウイ島東部に差し掛かった際に、ハワイ島全島とマウイ島東部のハナ(Hāna)の地域を支配していたアリイ、カラニオプウの訪問を受け、船上に招きました。そして、翌年1月にコナの南、ケアラケクア湾に碇を下ろしたクックは、カラニオプウと再会。その時アリイは、自ら身に着けていたアフウラとマヒオレをクック船長に献上しました。クック自身は、その年の2月にケアラケクアで命を落としますが、ケープと帽子は船長の船で英国に運ばれたのです。その後、博物館や収集家の手を経てニュージーランド国立博物館「テ パパ トンガレヴァ」に展示され、以前ビショップ博物館に短期間展示されたことがあります。今回はニュージーランド国立博物館との間で数年間の準備を重ねた結果、十年間の予定でマヒオレと共にビショップ博物館に貸与されたのですが、3月12日の土曜日、ハワイアン航空でオークランドから運ばれてきた日の博物館には、多くのハワイアンの人々が、キヘイ(kīhei)と呼ばれる布を肩から纏って集い、素足で台地をしっかりと踏みしめてオリ(oli)を詠唱して迎え、あたかもカラニオプウ本人が蘇えって皆の前に現れたかのような、歓喜と緊張感あふれる歓迎の光景でした。

カラニオープウのアフウラ(ビショップ博物館の展示物より)
 

ところで、大きなアフウラを作り上げるには何万羽もの鳥の羽が使われました。果たして権力者のケープや帽子を作ったがために、ハワイ固有種の美しい色のミツスイが居なくなったのか、との疑問が湧いてきますが、必ずしもそうではなかったようです。ネイティヴハワイアンの中で、鳥を獲る手法を代々引き継いだ人達、カピリ マヌ(kāpili manu)が森に入り、網を使ったり、植物から採取した粘り気のある樹脂を塗った木におとりを置いて鳥を誘き出して捕獲した後、鳥一羽から数枚の羽毛を採っては逃がしたそうで、ある程度持続性は保たれていたのですが、19世紀になると、そのような鳥が絶滅したり、その危険にさらされ始めます。ハワイに入港した外国船に潜んでいた蚊が蔓延。それまで外敵の居なかった鳥に、蚊が(鳥類に伝染する)マラリアをうつしてしまった、と云うのが大きな原因の一つだったと考えられています。更に、広大な牧場や砂糖農園を作るために樹木を伐採したために生じた森林の減少、外来種の動物の導入などが、ハワイ固有種の鳥を絶滅に追い込んでいきました。近年では、ハリケーンの襲来で大木を失ったり、地球温暖化で蚊が高地にも生息するようになることが、更にまた、山岳地帯に生き残っている鳥の絶滅時期を早めています。

アフウラとマヒオレを着けたアリイのイメージ(写真提供:アロハ フェスティバルス)

もう1つ、アリイが男女共に身に着けていたものにレイ ニホ パラオア ( lei niho palaoa ) があります。レイは首にかける飾り物。ニホはハワイ語で歯。パラオアはマッコウ鯨。このレイの首にかける部分は、着けるアリイ本人の毛髪が使われ、ペンダントの部分は鯨の歯を削って作られ舌の形をしています
アリイには超自然の力「マナ」( mana ) が具わっていると信じられていましたので、文字を持たなかったネイティヴハワイアンの社会にあって、アリイの発する言葉にはマナがあることを象徴するレイであったと考えられます。
アフウラやレイ ニホ パラオアはビショップ博物館ハワイアンホール3階に実物が複数展示されています。
 


レイ ニホ パラオア(ビショップ博物館の展示物より)
 
【追記】
本文にあるKalaniʻōpuʻuʻahuʻulamahioleですが、2016年にオークランドに在るニュージーランド国立博物館 ”Te Papa Tongarewa” から10年契約でハワイに貸与されたものでしたが、その後ニュージーランド国立博物館の好意により、ハワイにとって歴史的にも文化的にも由緒ある品が永久にお里帰りすることになりました。
2020年4月にハワイに返還されることが正式に決定し、これを受けビショップ博物館に恒久的に大切に保管、展示されることになりました。【2020年7月 記】



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補足事項

西欧人来島前のハワイ諸島には、蚊は生息していなかった、と考えられています。
鳥の羽を使ったアリイのための貴重な品々についての詳しい紹介は、University of Hawaii Press 出版 Royal Hawaiian Featherwork Nā Hulu Aliʻi を参照。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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