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所用時間5min
2014.10.17

キャプテン クック

1778年、ハワイ諸島は西欧人の知るところとなりました。

  • 1778年のクック船長来島はハワイにとって極めて重要な歴史の転換期となりました。当時20歳頃のカメハメハにも大きな影響を与えた出来事でした。それ故、イオラニ宮殿前の大王像の台座にもその歴史的出来事の情景が刻まれています。
     
  • クック船長殺害の際にハワイアンが小艇を持ち去ろうとした理由は、舟の釘から生活必需品である釣り針が作れるからだったと考えられています。カウアイ島にはじめて到達した際に、人々が物々交換で鉄や釘を欲したのも同様の理由でしょう。
    ハワイ島で船長を失った一行は再度北極海を調査し、日本近海からマカオ、喜望峰を廻り1780年夏に母国に帰還しています。

クック船長(写真提供:ビショップ博物館)

 

既に何度か滞在したことのあるタヒチの島々を出港して二カ月、太平洋を北に向けて航海を続けていたクック船長の一行は、1778年1月に北緯二十度付近に幾つかの島々を発見して、サンドイッチ諸島と命名しました。大陸や他の島々からも遠く離れていて、それまで長い間外界から閉ざされていたハワイ諸島は、この時点で西欧人の知るところとなりました。

 

航海に使われた船は「レゾリューション号」。クラーク船長率いる僚船「ディスカバリー号」が同行していました。

レソリューション号(北ヨークシャー Staithes のクック博物館の展示物より)

ハワイ諸島北西部に到達した二隻は、オアフ、ニイハウ、カウアイの三島を発見し、1月20日にカウアイ島のワイメアに碇を下ろし、上陸しました。カウアイ島に接近した際、カヌーで漕ぎ出してきた人達と接触。船上から幾つかの品物をロープで吊るして物々交換を試みてみたところ、島民は特に鉄や釘に興味を示したとの記録が残っています。

 

三回目の太平洋探検でクック船長に託された主たる任務は、大航海時代から謎のままであった、北アメリカ大陸の北側に、大西洋側のハドソン湾と太平洋を結ぶ水路が有るか否かを調査することでした。二隻の探検船はカウアイ島とニイハウ島で食糧と水を補給しますが、十分な量を得られぬままハワイを離れ、北東に進路を取り航海を続けました。

 

北米大陸に達したクックの一行は、現在のカナダ、バンクーバー島西部のヌートカサウンドに上陸後、測量を続けながらアンカレッジ近くまで北上、その後8月にはベーリング海から北緯70度付近まで到達したところで、氷山に阻まれて動けなくなると判断し、ハワイでの越冬を決めました。

 

クック船長殺害の場面(ビショップ博物館の展示物より)

11月、マウイ島東部に到達した一行は、ハワイ島カイルアコナの南、ケアラケクア湾で冬の時期を過ごした後、翌年2月はじめに再度北に向けて出港ましたが、突風で壊れたマストの修理が必要となり引き返します。そして1779年2月14日のことでした。ハワイの人達が小艇を持ち去ろうとしたことを発端に小競り合いとなり、クック船長は発砲して対抗したものの殺されてしまいます。船長が命を失ったケアラケクア湾には船長の碑が建てられています

 

クック船長一行によるサンドイッチ(ハワイ)諸島の発見により、ハワイは北太平洋を行き来する貿易船の越冬地、水や新鮮な食糧を得られる寄港地として、西欧人の貿易船が来航する地として着目されていきます。北米大陸で原住民から仕入れたラッコの毛皮が中国で高値で取引され、それに加えてハワイで得られた香りの良い白檀の木も中国で好まれたことが、貿易船入港を増やす要因となりました。そして、その後のマサチューセッツからの捕鯨船の太平洋への展開と、その補給と中継基地としてのハワイの役割へと、話はつながっていきます。

 

七年戦争でフランスに勝利した英国にとって海軍の使命の一つは、アジアと米国での海外貿易を支えることでもありました。ヨークシャー北部マートン イン クリーブランドの貧しい農家に生まれたクックですが、海軍での海洋調査と正確な海図作成の功績は、当時の英国に多大な利益をもたらしました。ロンドンのテームズ川の南、世界標準時の基になるグリニッジに在る、国立海事博物館に建てられた船長の銅像がそれを物語っています。

 

英国グリニッジに建つクック船長の像

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  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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