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所用時間5min
2015.11.29

沖縄からハワイへの移民

ここがポイント

日本からハワイへの移民の歴史の中では後発であった沖縄からの移民ですが、戦後の沖縄県との強固な関係も含め、現在のウチナーンチュはハワイの日系人の中にあって重要な位置を占めています。

ハワイに残る沖縄からの移民の足跡

1900年に、沖縄からの初の移民がハワイに到着しています。

30名が沖縄で募られましたが、検疫などを理由に実際にハワイへ入国出来た者は20数名に留まりました。オアフ島、真珠湾の西側に、砂糖産業が盛んに行われていたワイパフと呼ばれる地域があります。そのワイパフの丘の上、ワイピオ地区が、沖縄からの最初の入植者が働いた場所でた。

 それから遡ること15年。1885年に明治政府が正式に認めた官約移民が初めてハワイに到着し、各島の砂糖農園に入植し始めました。ハワイ日系移民史を研究されていた篠遠和子さんの資料によると、第一回船「シティーオブトーキョー号」でホノルルに到着した人々944名の内、山口県出身者が420名、広島県からが222名と、二県が圧倒的な数に及んでいます。二十世紀になると、沖縄からのハワイ移住者は増え続け、各島の砂糖農園に入植して行きます。ハワイ在住日系人に関する人口資料によると、1924年(大正13年)には、広島出身者約3万人、そして山口、熊本に続き、沖縄出身者数は第4番目、16,536名にも達していました。

 沖縄からハワイへの移民を語る時に必ず紹介されるのが、沖縄本島中部、現在の金武町出身の當山久三です。小学校の教員であった當山は、自由民権運動の指導者でもあり、後に沖縄県議会議員も務めていますが、海外移住計画に熱心に取り組み、沖縄からハワイへの移民を実現させました。沖縄からの最初の移民が働いた場所ワイピオに、ハワイオキナワセンターが在ります。沖縄出身者の結束、沖縄県との深い繋がりを物語るように、イベント会場にも使える大きな建物や事務棟が広い敷地内に建っており、琉球瓦の屋根にシーサー、沖縄庭園、それに石敢當まで立てられています。この敷地内にある「一世ガーデン」に「移民の父」として當山久三の銅像が建てられています。

ハワイ オキナワ センターの當山久三碑

ハワイには、日系移民の出身地ごとに県人会や郡人会が長きにわたり組織されてきて、今でも活発に活動している県人会も多くあります。その中で、沖縄出身者の団体は、県人会ではなくハワイ沖縄連合会(Hawaii United Okinawa Association = HUOA)と云う名称を使っています。もともと沖縄から移住してきた人達は、出身地の市町村単位のクラブを作り、同胞が協力し合う組織を作っていましたが、それらをまとめて1951年に組織された団体が沖縄連合会で、開設当時は一世の出身地である沖縄の戦後の困窮を援助する役割も大いに重要でした。現在は沖縄県との交流事業や、ウチナーンチュ(沖縄人)としての文化の継承に力を入れており、若い会員が多いのも特徴かもしれません。HUOAのウェブサイトには、約4万人の会員が所属していると記載されています。

HUOAは、毎年9月始めのレイバーデー(Labor Day)の週末に、二日間にわたり「オキナワ フェスティバル」と云うウチナーンチュの一大イベントをワイキキのカピオラニ公園で開催しています。沖縄音楽や古典舞踊のパフォーマンス、沖縄の物産展、そして各市町村クラブのブース展示や食べ物の販売などが大々的に行われ、沖縄のルーツを持たないオアフの人々も多く集まるイベントとして育ち、ハワイにおける「オキナワ」のアイデンティティ定着に大いに役立っています。

2015年9月のオキナワ フェスティバルの風景

ハワイに住んでいると、沖縄の姓を持つ人によく出会います。カラカウア王の明治天皇謁見が切っ掛けになり1885年に始まった官約移民以降、広島や山口、福岡、熊本、福島など、日本各地から多くの日本人が移民してきたハワイですが、現在ハワイ州の人口の二割弱を占める日系人の内、沖縄系の人達が果たす役割は大きいのではないでしょうか。そして、もはや日本語を話すことのない若者の間でも、沖縄固有の文化を残すべく、エイサーや三線の稽古に励む姿を見かけます。

父方の祖父母が沖縄出身者であるデビッド イゲ氏が2014年12月からハワイ州知事を務めていることも、ハワイに住むウチナーンチュの誇りでしょう。

2015年9月、オキナワ フェスティバルでの沖縄古典民謡演奏

 

補足事項

砂糖キビ農園での生活を今に伝えるワイパフのハワイ プランテーション ビレッジでは、沖縄の家と生活様式が固有のものとして、日本本土のものとは別に紹介されています。
ハワイ オキナワ センターにも、小規模ながら移民資料室が在り、砂糖農園での生活様式などが垣間見られます。蛇足ですが、オキナワ センターを訪ねるたびに、メンバーの人達が敷地内の木々の手入れや清掃のボランティアをしている光景に必ず出会い、感銘を受けています。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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