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2014.10.21

カラカウア

明治14年、ハワイ王国第七番目の王が、初の現職外国元首として来日しました。

  • 米国との互恵条約締結に成功したカラカウア王でしたが、在位していた後半は、王国の経済を担う砂糖産業を中心とした親米派の圧力を受け、王権すら制限を加えられる立場へと追いやられていきました。
     
  • カラカウア王の明治天皇への謁見は、日本からの移民の願いに留まらず、姪のカイウラ二王女と皇室の山階宮との結婚の申し出や、太平洋とアジアの王国の連邦を創ろうとの構想と提案にもおよびましたが、それらは天皇より丁重にお断りを受ける結果となりました。


「カラカウア」と聞くと、ワイキキの通りの名を思い浮かべる方も居られるでしょう。ハワイ王国七代目の王の名で、カラカウア大通りとクヒオ通りの分岐点に王の銅像が建っています。六代目の王、ルナリロが後継者を指名せずに亡くなったため、議会で選挙が行なわれ、カラカウアはエマ王妃に大差で勝利し、1874年2月に王になりました。

カラカウアは、米国との互恵条約締結を成功させ、砂糖産業で国家の隆盛を成し遂げた王ですが、在任中に九ヶ月と九日間にもわたる長期の世界一周旅行をしたことでも知られています。イオラニ宮殿を現在の石造りの建物に建替えていた1881年(明治14年)、私的な旅ではありましたが、後に八代目の女王となる妹のリリウオカラニに国政を委ね、移民の調査を目的として自国を後にし、サンフランシスコで客船を乗り継ぎ、3月はじめに最初の寄港地の横浜に到着します。東洋初の訪問国となった日本での滞在は、王にとって大変意義深いものになりました。現職外国元首の初来日として丁重に迎えられ、横浜港では、二十一発の礼砲と、ご自身が作詞したハワイ王国の国歌「ハワイ ポノイ」の演奏で歓迎を受け、その後、明治天皇にも謁見しハワイへの日本人移民受入れを申し出て、1885年に始まる官約移民のきっかけを創りました。

 

王は、訪日後にアジアからインド、エジプトを経て欧州各国を歴訪した後、ニューヨークで発明家エジソンにも会っています。当時の先端技術である録音機にハワイ語で国民へのメッセージを収録し、自国へ持ち帰りました。蝋で作られた円筒形の録音盤は現在でもビショップ博物館に大切に保管されています。

カラカウア王のメッセージの録音版(ビショップ博物館所有)

話は世界一周の旅の途中に戻りますが、離日後、一行は天津、上海、香港、バンコクを経由し、当時英国の植民地であったシンガポールに立寄り、滞在中に島の対岸ジョホールの領主から宮殿に招かれました。そこでお互いの母国語に類似した単語を見付け合い、驚嘆したと云うエピソードが残っています。

 

現在の歴史言語学者は、マレー語系の言語とポリネシア語が共に「オーストロネシア語族」に含まれる同系の言語であることを突き止めていますが、十九世紀に初めてアジアを訪れたカラカウアにとっては驚くべき事柄であったと思われます。因みに、太平洋に広く広がるポリネシアの島々では数字の「五」を「リマ」と云いますが、現在のマレーシアやインドネシア、フィリピンでも同じです。ハワイ語で「火」は「アヒ」、マレー系の言葉では「アピ」と云います。

カラカウア王 (写真提供:ビショップ博物館)

さて、カラカウア王の時代のハワイ王国は、砂糖産業により益々繁栄をしていきます。しかし同時に西欧人が多くを占める経済界の力も強まり、1887年、その圧力の下でカラカウアは王権を制限する改正憲法に署名を強いられます。王の権力を内閣に分散させられてしまったのです。その後、米国への併合を求める親米派の動きが強くなり、王権を維持するのが難しくなっている最中の1890年11月、王国議会閉会の日に王の様態が急に悪くなり、米国で静養することになりました。米国の賓客として米国海軍の軍艦チャールストン号でサンフランシスコに到着しますが、翌年1891年1月20日に客死。遺体はチャールストン号で1月29日にホノルルに到着し、翌日30日には妹のリリウオカラニが宣誓をして、第8代目の女王になりました。リリウオカラニ自身は、兄の葬儀が終わってから就任すべきと考えていたようですが、周囲の状況はそれを許しませんでした。

 

カラカウアは、妹のリリウオカラニと共に大の音楽家でもあり、作詞作曲した多くの曲を残しています。現在のイオラニ宮殿を建て、メリーモナーク(陽気な王様)とも呼ばれて親しまれた王でしたが、大国の経済の影響に翻弄された時代の王でもありました。

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  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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