講座詳細

受講履歴を確認する
所用時間5min
2014.10.28

クリーブランド大統領とマッキンリー大統領

ハワイの激動の歴史に名を刻まれた、2人のアメリカ大統領とは

  • クリーブランド大統領はハワイのアメリカへの併合を阻止した。
     
  • 次期のマッキンリー大統領は、逆にハワイ併合を推進した。
     
  • その影には、アメリカ人ビジネスマンらの暗躍があった。
     
  • ドール・パイナップルは、サンフォード・ドールの従兄弟が興した企業。
    サンフォード・ドールはハワイがアメリカ準州になった時、初代知事に就任した。


クリーブランド大統領の時代

ハワイ史、なかでも1893年のハワイ王朝終焉から始まる激動の時代に、大きな関わりを持ったアメリカ大統領が2人います。第22代&24代大統領のグローバー・クリーブランド(民主党)と、第25代のウィリアム・マッキンリー(共和党)がその2人。この2人はハワイ史上でまさに正反対の役割を担い、両極端な意味でハワイ州民の記憶にくっきりと刻まれています。

 

クリーブランドは大統領として2期を務め、第1期目は1885年~89年。2期目が始まった1893年にハワイで王朝が崩壊し、続いてハワイ共和国の成立という、ハワイの歴史の節目に立ち会うことになります。

 

アメリカ人砂糖きび業者を中心とする白人勢力による無血革命が成功し、ハワイ8代目の君主、リリウオカラニ女王が無理やり退位させられたのが1893年1月。白人勢力による臨時政府をハワイ駐在のアメリカ公使はすぐに公認し、しかもハワイをアメリカの保護下に置くことを宣言します。ハワイがアメリカの一部となることで、関税撤廃などビジネスの恩恵を多々受けることを、白人革命勢力が求めていた…という背景がそこにはありました。

ハワイがアメリカに併合された際のイオラニ宮殿(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)

ただしこれは、実は本国の承認なしに、アメリカ公使が独断で下した決定でした。ところが、当時のアメリカ大統領のベンジャミン・ハリソンもこれに賛同。公使を後追いする形で承認し、そのままハワイをアメリカに併合しようと画策します。ですが議会の了承を得るのに時間がかかり、承認されないままハリソンは任期切れに。そこに大統領として再登場したのが、クリーブランドでした。

 

クリーブランドは正義を重んじる政治家でした。大統領に就任するや否や、ハワイに特使を送ってハワイ王国を巡る真相解明に着手。アメリカ公使が本国に無断でハワイ臨時政府をアメリカの保護下に置いたことを違法と判断し、ただちに臨時政府の承認を撤回します。同時に、リリウオカラニ女王の復権を指示したのですが、そこに異を唱えたのが、臨時政府代表のサンフォード・ドールでした。

 

ドールはクリーブランドに、ハワイ王国の崩壊や臨時政府成立にはアメリカの意志、力が及ばない旨を主張。それが効を奏し、女王の復権を見ないまま臨時政府は1894年にハワイ共和国を設立。ドールは共和国大統領に就任し、ことの収拾を測ることに成功したのでした。

ハワイがアメリカに併合された際のイオラニ宮殿。準州知事に就任したサンフォード・ドールの姿も見える
(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)

マッキンリー大統領の時代

ドールがこの段階でアメリカへのハワイ併合を深追いしなかったのは、クリーブランド後のアメリカを見据えた政治的判断によるものでした。話を無理に進めて荒波を立てるより、あえてクリーブランドの任期切れを待ち、次期大統領との間で話を進めようとの戦略がそこにはあったようです。この戦略はまざまざと当たり、1897年春、クリーブランドに代わって大統領となったウィリアム・マッキンリーは、ハワイ併合のための準備に着手します。

 

当初アメリカ議会は、併合をなかなか承認しませんでした。ハワイで併合に反対する署名運動が行われ、ネイティブ・ハワイアンの半数以上が署名していたこと。またリリウオカラニ女王をはじめハワイからの代表が首都ワシントンDCに入って、抗議運動を展開したことなどがその理由です。

 

ところが1898年にアメリカ・スペイン戦争が起こったことで、世論が変わります。真珠湾の軍事的価値が高まったことでハワイの重要性が増し、最終的に議会も併合を承認し、1898年の7月に、マッキンリー大統領はハワイ併合案に正式に署名ハワイはついにアメリカの支配下に置かれ、準州になりました。1959年には正式にアメリカ50番目の州に昇格し、現在に至っています。

 

以上のように、アメリカへのハワイ併合を阻止したクリーブランド大統領と、議会の反対を押して併合を実行したマッキンリー大統領。ホノルルにはクリーブランドの名を冠した公園が、またマッキンリーの名を冠した高校があります。2人の大統領の名はハワイ史にくっきりと刻まれているわけですが、人々が敬愛するのはどちらの大統領なのか。それは歴史を見れば明白ですね。

関連コンテンツ
ハワイ王国の終焉

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセント(水曜日担当)も務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

関連講座
メンバー登録してアロハプログラムを楽しもう!

ハワイについて学ぶならまずはメンバー登録がおすすめ!