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2014.11.21

デビッド・マロとサミュエル・カマカウ

19世紀のハワイアン歴史家。古来の歴史・文化をハワイ語で書き残した

  • デビッド・マロとサミュエル・カマカウは、ハワイ語でハワイの歴史・文化を書き残した19世紀の知識人。
     
  • 2人とも、マウイ島ラハイナに創設されたハワイ最古の学校、ラハイナルナスクールの卒業生。


デビッド・マロとサミュエル・カマカウは、19世紀を生きたネイティブ・ハワイアンの歴史家です。外国の航海家や宣教師が残した古いハワイの見聞録は多々あっても、ハワイの文化・歴史を、ハワイアンが自分の言葉で書き記した記録はごくわずか。内側から見たハワイの真の姿を後世に伝えた歴史家として、2人は高く評価されています。今日知られている古代の宗教・王族に絡んだ儀礼や芸能、スポーツに関する知識の多くも、2人の著書によるところが大きいのです。


中でも2人の著者「モオレロ・ハワイHawaiian Antique」(デビッド・マロ)、「カ・ポエ・カヒコThe People of Old」(サミュエル・カマカウ)は、今日ハワイの歴史を学ぶ人々にとって必読の古典。いわば金字塔として、今なお版を重ね続けています。


デビッド・マロ(1795年?~1853年)

デビッド・マロは1795年頃、ハワイ島ケアウホウで生まれました。父はカメハメハ大王に仕え、そのためマロは、幼少時から王族と親交があったよう。カメハメハ大王のお気に入りだった首長アウヴァイや、カメハメハ大王の相談役だったクアキニと交流が深く、特にアウヴァイから、ハワイの神話や伝統、宗教儀式、王族の系統などを学んだとされています。

デビッド・マロ(著書「モオレロ・ハワイ」より)

ハワイ王国政府の首都がマウイ島ラハイナに移ってからは、マロの家族もラハイナに転居。マロはそこでアメリカ人宣教師、ウィリアム・リチャードと知り合います。それはボストンから初の宣教師団がハワイ入りしてから、3年後のこと。リチャードが2番目の宣教師団の一人として、ハワイにやって来た1823年のことでした。
 

マロはリチャードに多大な影響を受け、ハワイに紹介されたばかりだったアルファベット表記を学んだほか、自らもクリスチャンに改宗。そして1831年、ラハイナにプロテスタント系のミッションスクール、ラハイナルナスクールが開校すると1期生として入学しました。マロが36歳前後の時でした。

ラハイナルナスクールは、キリスト教だけでなく数学や地理など一般教育をハワイ語で授ける、ハワイ最古の学校として知られます。ハワイ初の印刷所ハレ・パイも併設し、初の英語&ハワイ語の書籍、ハワイ語新聞、ハワイ王国の紙幣が印刷されたのも、ハレ・パイでした。そんな状況を考えると、マロが当時ハワイでも最高の教育を受けた知識人だったことがわかります。実際、マロは王国の文部省の要職に就いていたほか、牧師としても活躍しました。

マウイ島ラハイナのプウ・パウパウ山の頂上にマロの墓がある(写真中央、山肌に彫られた「L」の文字のすぐ上)

ですがマロの名声を高めたのは、教職者・聖職者としての実績ではなく、何といってもその著述のためといえます。ラハイナルナスクールでの教育に触発され、卒業前から古代ハワイの宗教や文化などをまとめ始めたマロは、1838年に簡易版の「モオレロ・ハワイ」を出版。マロの死後の1858年に原稿がさらに加えられ、完成版「モオレロ・ハワイ」が出版されました。1903年にその英語版が出、今も広く愛読されています。西洋との接触が始まる以前のハワイで、王族やカフナ(神官)とも親交のあったマロ。そのマロがハワイ語で記した著書ですから、その価値ははかりしれません。
 

実はマロはもう1冊、カメハメハ大王の生涯を描いた原稿を完成させたことが知られています。ところが残念ながら、草稿は行方不明に。故郷ハワイ島を何度も訪ね、カメハメハの周りに実際いた人々を取材してまとめた一冊だったそうですから、もし発見されることがあれば、大きなインパクトを持つのは必至。その行方が今も気になるところです。

サミュエル・カマカウ(1815年~1876年)

デビッド・マロに遅れること、2年。マウイ島が誇るラハイナルナスクールに、サミュエル・カマカウが入学しました(カマカウはオアフ島ワイアルア生まれですが、なぜマウイ島に移ったのかははっきりしません)。第1期生はマロをはじめ年齢の高い学生達が主でしたが、カマカウらの第2期生は年若い青年が多く、入学時のカマカウも18歳でした。

サミュエル・カマカウの残した著書2冊

カマカウはラハイナルナスクールの歴史教師、シェルダン・ディビーに触発され、古き時代のハワイの歴史・文化・物語を集め始めます。1841年、ハワイ初の歴史協会、ロイヤル・ハワイアン歴史協会が発足した時、カマカウも発足メンバーの一人として、役員を務めています。メンバーにはカメハメハ3世、シェルダン・ディビー、ウィリアム・リチャード、ドゥワイト・ボールドウィン、そしてデビッド・マロなどそうそうたる人々が揃っていました。

カマカウは自身が収集したハワイに関する記事を、1866年~1871年の5年間、当時2つあったハワイ語新聞に連載。記事は神話、王族、宗教上の慣習、医療など多岐にわたり、古代ハワイの生活を知る大きな手助けを、後世の学者に提供してきました。これらの新聞記事から「カ・ポエ・カヒコ」「ルーリング・チーフ・オブ・ハワイ」の2冊がまとめられ、今も読み継がれています。


マロ同様、教員、政治家(マウイ島選出のハワイ王国議員)、裁判官(マウイ・ワイルクの地方裁判所)などの要職に就いたカマカウ。ですが今も人々はカマカウを、ハワイ指折りの歴史家として記憶しています。マロと並ぶラハイナルナスクールが誇る偉人として、その名はハワイ史上、燦然と輝いているといえるでしょう。

付帯的な情報・発展情報

ラハイナルナスクールは1831年、宣教師により設立された後、1849年からハワイ王国下の公立高校になりました。エリート養成校ともいえ、1877年頃までは、同校卒業生が、政府要職の多くを占めていました。
1923年からはハワイ州立の高校になり、ハワイアン・シンガーのケアリイ・レイシェルも、同校を卒業しています。

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセント(水曜日担当)も務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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