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所用時間5min
2015.12.29

ハワイ音楽の歴史~1940s レナ・マシャド

1930年代~40年代
「ソングバード」と呼ばれた女性ハワイアン・シンガー

1930年代から40年代を全盛期として、ハワイはもちろんアメリカ本土でも絶大な人気を得たハワイアン・ミュージックのスターがいました。レナ・マシャドです。裏声を駆使する「ファルセット・ボーカル」がトレードマークだった彼女は、「ハワイアン・ソングバード」と呼ばれ、後世のハワイアン・シンガーたちに大きな影響を与えました。ソングライターでもあった彼女は、今もフラダンサーたちに愛され踊られているフラソングを何曲も残しています。

「Lena Machado - Songbird of Hawai'i」には、レナ・マシャドが書いた人気フラ・ソングの数々が、楽譜と歌詞、英語訳詞、さらに詳しい歌の解説とともにまとめられている。

ハワイアン・ソングバードが生まれてから飛び立つまで

 

一世紀弱前のある日のホノルル、ひとりのロコガールが、マンゴーの木の下で歌っているところをスカウトされます。スカウトしたのは、放送が始まったばかりのハワイ初のラジオ局KGUのマネージャー。ラジオ局のスタジオで彼女が生放送番組に出演し歌うと、リスナーから次々に問い合わせの電話が入る。伝説のハワイアン・ソングバード誕生の瞬間です。

 

1927年、24歳のレナ・マシャドにチャンスがやってきます。
アメリカ本土のレコード会社がホノルルにレコーディング・スタジオをオープンすることになり、レナ・マシャドもここでレコーディングをすることになります。メジャー・レコード会社のためにレコーディングしたハワイ初の女性アーティストとなった瞬間です。

 

1930年代、ハワイアン・シンガーとして大変な人気を集めるようになったレナ・マシャドは、サンフランシスコやロサンジェルスへツアーに出かけることが多くなります。当時本土に住むアメリカ人にとって、ハワイアン・ミュージックとの出会いはレナの歌声を聞くことでした。30年代から40年代は彼女の全盛期で、この時期に多くの名曲、名演奏を残します。

 

押しも押されぬスターとなった後もハワイでの演奏活動を活発に続けます。1957年、成功の真っ只中にいたレナ・マシャドに悲しい事件が起こります。最愛の夫を糖尿病で亡くします。精神的なショックはあまりにも大きく、葬式への出席もドクター・ストップがかかるほどだったといいます。

 

3年後、悲しみを乗り越えた彼女は自身のレーベルを立ち上げ、これまでの自作の曲をまとめて再録音するプロジェクトにとりかかります。それが1962年にリリースされた名盤「Lena Machado, Hawaii's Song Bird」。
同じ年、日本へも来日しテレビ出演を果たします。

 

1965年、交通事故で大怪我を負い、音楽活動ができなくなってしまいます。また、手術費などがかさみ、経済的に窮地に立たされます。

 

1973年、膨れ上がった医療費の支払いができないでいるレナを救うために、ベネフィット・コンサート・イベントが計画されます。現在のニール・ブレイズデル・センター・コンサート・ホールで行われたコンサートには、ジェノア・ケアヴェやロイヤル・ハワイアン・バンドなど、レナと親交のあったミュージシャンたちが友情出演。このベネフィット・コンサートにより経済的な窮地から救われたレナは、サポートしてくれた人々の厚意に深く感謝します。

 

ベネフィット・コンサートの翌月、ハワイアン・ソングバード、レナ・マシャドは天国へと飛び立ってしまいます。1974年1月22日、70歳でした。

 

 

  • よしみ Nui だいすけ
    Daisuke Yoshimi
    担当講師

    【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
    facebook: https://www.facebook.com/NuiDaisuke
    公式HP: http://www.yoshimidaisuke.com/

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