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所用時間5min
2015.03.23

ハワイ文化継承に貢献した人物

西欧化の大波の中で消えかかるハワイ文化の継承に心血を注いだ人たち

  • ハワイアンの人達は、今でも祖父や祖母、クプナ(古老)から教えられた自分達の文化や習慣を大事にし、次の代に伝えていますが、西欧人来島後に文字や絵画で残された記録は、それを裏打ちする大事な資料となっています。
     
  • 1970年代に起こったハワイアン ルネッサンス運動により、ハワイ語を話せる人口が復活し、ハワイ文化への関心が再度高まってきたのが現在のハワイです。母国語なくして固有の文化の継承はあり得ません。


ポリネシア人が移り住んだハワイには、脈々と語り継がれてきた固有の文化が存在していました。1778年のクック船長(James Cook)によるハワイ諸島の発見により、北太平洋での交易の中継地、越冬地としてのハワイの有用性が、瞬く間に西欧の人々に知れ渡ることになります。しかし、ネイティヴハワイの人々からすれば、同時に自分達の培ってきた文化と伝統を失いかけるきっかけにもなったのです。


クック船長やバンクーバー船長の探検船に搭乗していた学者が記録し、画家が描写したハワイは当時のハワイアンの生活習慣を知る上で貴重な資料になっています。1820年にマサチューセッツから来島した宣教師たちは、キリスト教の布教のために早速現地の言葉を学び、ハワイ語の聖書を創るべくハワイの言葉を英語のアルファベットに置き換えて記録していきました。


そして、宣教師が開いた学校に学び英語を習得し、同時に自分達の文化を書き残し、後世に残そうと努力するハワイアンの人達が現れます。
その一人はデビッド マロ(David Malo)。1790年代にハワイ島で生まれ、ラハイナで学校に通いキリスト教に帰依し、聖書のハワイ語への翻訳を手伝う一方、自分達の文化をハワイ語で書き留めていきました。


サミュエル カマカウ (Samuel Manaiakalani Kamakau) も、その一人でした。1815年オアフの生まれで、マロと同じラハイナの学校で勉強した後に王国議会で活躍しつつ、ハワイの歴史と文化を記録していきました。彼の著書「ルーリング チーフス オブ ハワイ」(Ruling Chiefs of Hawaii)はハワイの王(アリイ)の系列を伝える大作です。


しかし、王国が消滅して米国の一部になったハワイでは英語が公用語になり、教育も英語で行われるようになり、学校でハワイ語を話すことすら禁じられていきます。その結果、1980年代にはハワイ語を話せる人は2千人足らずにまで減少してしまいます。その中にあって、ハワイが米国の準州、そして50番目の州になってからもハワイ文化を継承しようと努力した人達が居ました。


その一人はメリー プクイ(Mary Kawena Pukui)。1895年にハワイ島カウで生まれた女性です。1938年から61年までビショップ博物館に勤務しハワイ文化を書き残すことに勤め、プクイさんが監修したハワイ語と英語の対訳辞書は、今でもハワイ語の勉強にはなくてはならないものになっています。その他にも多くの著書がありますが、その中でもハワイ語の格言集「オレロ ノエアウ」(ʻŌlelo Noʻeau)や、ハワイの習慣や伝統を伝える「ナナ イ ケ クム」(Nānā i ke kumu)は、ハワイアンの考え方や思想を知る上で貴重な資料です。

1930年頃のプクイ(ビショップ博物館の展示物より)

1928年生まれで、ポリネシア航海協会(Polynesia Voyaging Society)の創始者の一人でもあるハーブ カネ(Herb Kawainui Kāne) も紹介しておきたい人の一人です。彼はハワイの歴史的な出来事や文化的な物事を、固有の文化と史実に基づいて忠実に描き、絵画として後世に伝えてくれました。
他にも紹介すべき人達が多数居ますので、別途詳しくお伝えする機会があるでしょう。

カネが描いた、ポリネシア人がオアフ島カネオヘ湾(現在のクアロア牧場近く)にカヌーで到達したところの絵(ビショップ博物館の展示物より)

文字を持たない地域の文化は口頭で伝承されてきましたが、その言葉を話す人が減少すれば、次世代へ引き継げなくなります。今、伝えられているハワイ文化は、西欧人が来島する前のものに比べ、何十分の一、いや、何百分の一でしかないと思われますし、各島にそれぞれ伝わっていた固有の習慣や表現方法も今や不確かになってしまったのが現実です。その中で、西欧人来島以降に文字や絵画として残された記録は、ハワイ固有の文化を後世に伝え、更に掘り起こす上で貴重な財産になっています。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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