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2019.02.28

日系移民とコナコーヒー

コナコーヒー産業の基盤を築いた日系移民

高品質のうえ生産量が少ないため希少性が高く、世界指折りの高級グルメコーヒーとして愛されているコナコーヒー。今やハワイを代表する名産品の一つであり、ハワイを訪れる人々にはお馴染みの味となっていますね。

砂糖きびやパイナップル産業など、かつてハワイ経済の中核を成していた産業が衰退していった一方で、コナコーヒーは今日まで生き延び、発展を続けてきました。その成功の陰には、日系移民の力が大変、大きかったことをご存知でしょうか? 

 


Photo Courtesy of Kona Historical Society


過去2世紀近くにわたるハワイのコーヒー産業を支えてきたのは、初期にはハワイアン労働者、次いで各国からの移民たち。まずは中国系、ポルトガル系の移民でした。ですが斜陽の時代を迎えた1900年以降、コナのコーヒー栽培を担っていたのは、ほとんどが日系移民だったのです。

日系移民はコーヒーの市場価格の上下に翻弄されながらも身を粉にして働き、多くがコーヒー作りを諦めてコナを離れた後も、貧しい生活の中で良質のコーヒーを作り続けてきました。つまりは日系移民こそが、コナコーヒー産業を支え続けた主力グループ。その証しに、今もハワイのコーヒー農園では、コーヒー豆を精製する作業場をクリバ、豆の乾燥棚をホシダナと呼ぶなど、随所で日本語の名称が使われています。

1925年に日系1世の内田ファミリーがコナで開いた内田コーヒー農園は今、コナコーヒー・リビング・ヒストリーファームとして公開されている(Photo courtesy of Kona Historical Society)


ハワイにコーヒーがやって来た

まずはここで、ハワイでのコーヒー産業の始まりについて説明しましょう。ハワイに初めてコーヒーがもたらされたのは、ハワイ王国時代の1825年。王族でオアフ島総督だったボキが、カメハメハ2世夫妻のイギリス訪問に追随した帰路、ブラジルからコーヒーの苗を持ち帰ったのが始まりでした。

苗は初めオアフ島に植えられ、その後、各島へ。ハワイ島コナの大地にコーヒーが根付いたのは1828年のこと。そして1840年代には、大規模農場がいくつも誕生しています。フアラライ山とマウナロア山の西側斜面、標高300m~700mの通称コナコーヒーベルト地帯は肥沃な火山性土壌で、水はけも良好。1日の寒暖の差が10度以上あるなど、良質のコーヒー作りに必要な条件が全て揃っていました。ハワイ島に住んでいた欧米人資本家たちは、コナで順調なコーヒー栽培をスタートしたのです。
 


コナではコーヒースノー(コナの雪)と呼ばれるコーヒーの花

ところが害虫被害や世界のコーヒー価格の下落などの紆余曲折があり、1900年初頭までに、初期の資本家や農園主のほとんどがコーヒー栽培から手を引いていました。たとえば1880年代にコナコーヒー産業の中心となっていたポルトガル系移民は、後に多くが牧畜業に転じています(一部は現在もコーヒー農園を継続中です)。

ほかの地区に転出する移民も多かったのですが、逆にコーヒー栽培を目的にコナを目指す移民グループがいました。それが日系移民です。日本からの官約移民が1885年に始まり、1890年にはコナに住んでいた日本人は8人。それが1910年には少なくとも400戸もの日本人家族がコナに住み、その全てがコーヒー農家だったという驚きの記録があります。そして1920年には、コナの人口の51%を日本人が占めていました。


なぜ、日本人はコナを目指したのでしょうか? 

…なぜなら当時のコナではコーヒー農園の経営悪化から、農園主が広い農場を4,5エーカーに分割して貸し、地代をコーヒー豆で徴収するというシステムが始まりつつあったからです。つまりコナでは、資金力のない移民も農園主になるチャンスがあったのです。そのため、ほかの土地の砂糖きび畑などでの契約期間を終えた日系移民が、20世紀初頭のコナに集まってきたという背景があります。

 


コナコーヒー・リビング・ヒストリーファームの展示より(Photo courtesy of Kona Historical Society)


コナコーヒーを支えた日系移民の苦難

とはいえ日系移民にとってコナは決して夢の土地ではなく、その生活は厳しいものでした。当時のコナコーヒーは無名で、品質は良かったけれど格安で取引されていました。コーヒーを作っていたのは移民ばかりだったので、販売促進の術もなく、コーヒーを安く売るのが精一杯。しかもコーヒー豆はひと粒ひと粒、手で収穫しなければならないなど、コーヒー栽培は機械化も難しいという現実がありました。

収穫シーズンはどの農家も家族総出で働き、そのためコナの公立学校では1968年まで、「コーヒー・スクールスケジュール」という独特の年間カレンダ―を採用していたほど。コーヒーの収穫期である8月~10月が夏休みとなっていて、子供もまだ暗い朝から収穫を手伝うのが常でした。

…かつて砂糖きびやパイナップル産業がハワイで衰退したのに対し、コナコーヒーが生き残った理由の一つには、コナコーヒーが大農場制ではなく、慎ましい家族経営の個人農園で作られていたことがあるでしょう。


コナコーヒー・リビング・ヒストリーファームのツアー風景(Photo courtesy of Kona Historical Society)


特に1929年以降の大恐慌時代は苦しい生活が続きましたが、勤勉な日系移民は創意工夫しながら、懸命に働きました。価格は低くともコナコーヒーの未来を信じて、決してコーヒーを見捨てなかったのです。そんな日系移民の勤勉さとひたむきな努力がその後、花開き、今やコナコーヒーは、世界でも指折りのプレミアムコーヒーに成長したというわけです。

なおコナにあるコナコーヒー・リビング・ヒストリーファームは、そんな日系移民が1925年に開いた農園の一つ、内田コーヒー農園を引き継ぎ、当時の農園生活を再現した野外博物館。内田ファミリーの質素な暮らしぶりや農園生活を肌で感じられる、興味深いスポットとなっています。時代ものの農具や生活用品がそのまま保存されているので、日系移民の歴史を知るためにも必見。コナを訪れたら、ぜひ足を伸ばしてみましょう。


コナコーヒー・リビング・ヒストリーファーム

https://konahistorical.org/kona-coffee-living-history-farm


(冒頭の写真はイメージカットです。Photo courtesy of Hawaii State Archives)

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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