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2019.04.01

リリウオカラニ女王の抗議文全訳

ここがポイント

1893年、ハワイ王国は白人勢力によって覆され、臨時政府→ハワイ共和国を経て1898年、ハワイはアメリカの領土になりました。 王国最後の女王、リリウオカラニは、ハワイ共和国とアメリカの間で結ばれた併合に関する条約に抗議し、抗議文をアメリカ政府に送っています。 紹介したのは、その抗議文全訳。リリウオカラニの切実な声、特に抗議文最後のアメリカ国民への訴えには、読む者の心を打つものがあります。

アメリカのハワイ併合に対する公式抗議文

リリウオカラニ女王の抗議文の背景

リリウオカラニ女王はハワイ王国8代目の君主。1891年に王座に就いてから約2年後の1893年、ハワイ王国は在ハワイの白人勢力によって倒され、リリウオカラニ女王はハワイ王国最後の女王となりました。

今回紹介するのは、リリウオカラニ女王がその4年後の1897年、アメリカ合衆国のハワイ併合に抗議するため、アメリカ政府に提出した正式抗議文です。

その内容を理解するために、1893年から1897年にかけてのハワイ史の流れを知っておくことが必須となりますので、以下の要点を把握したうえ、リリウオカラニ女王の切実な訴えを読んでいただきたいと思います。

晩年のリリウオカラニとハワイ共和国大統領のサンフォード・ドールら(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)
 

〇1893年1月17日、ホノルルでのアメリカ海軍の示威行動を背景に、親米派を中心にした白人勢力が王国を転覆。臨時政府が樹立される。

〇流血の事態を避けるためリリウオカラニ女王はいったん王座を退き、アメリカ合衆国政府に調停を依頼。

〇1894年、ハワイ共和国が設立され、サンフォード・ドールが大統領に就任。

〇事態を調査したアメリカは、王国とリリウオカラニ女王に対し不法行為があったことを認定し、リリウオカラニ女王の復権とドールの辞任を求めたが、ハワイ共和国は拒否。

〇王国の転覆はハワイのアメリカ併合を望んだ白人勢力の行動だったが、当時のアメリカ大統領、クリーブランドはハワイ併合を拒否。

〇しかし1897年に就任したマッキンレー大統領はハワイ併合を承認し、ハワイ共和国と条約を結んだ。
 

ハワイのアメリカ併合記念式典。1898年、イオラニ宮殿にて(Photo Courtesy of Hawaii State Archive)


アメリカ政府に対するリリウオカラニの抗議文全訳

私、ハワイのリリウオカラニ―1877年4月10日、神の意思により次期国王に指名され、神の恩寵により1893年1月17日までハワイ諸島の女王であったリリウオカラニ―は、ある条約の批准に対しここに抗議する。同条約はハワイ諸島をアメリカ合衆国の領土として割譲するため、首都ワシントンにおいて、ハッチ氏、サーストン氏、そしてキニー氏により署名されたものと聞く。

このような条約は、ハワイの原住ハワイアンに対する誤った行為、支配階級の王族の権利の侵害であり、さらには我が国民や各種条約を交わす友好国の双方に対する国際法上正義の冒瀆、立憲国家を転覆する欺瞞、最終的には私に対する著しい不正であることを宣告する。

1893年1月17日、俗にいう臨時政府に対し私は署名入りの公式抗議文を提出し、それに対し臨時政府は、王国転覆に関する処遇についてアメリカに照会し調停を仰ぐ旨を確約している。

アメリカ合衆国政府への抗議と交信の中で、私は流血の事態を避けるため、そして強大な軍事力と衝突する無益さを認識し、自分の権限(注釈:権限に関する判断)をいったんアメリカに委ねることを宣言した。

アメリカ大統領や国務長官、その公使は、公式文書(注釈:公使による調査に基づく報告書)の中で、ハワイ王国政府はアメリカの外交と海軍の武力により不法に抑圧されたものであること、公使が行った同調査の段階で私が憲法上の統治者であったことを報告している。

そのアメリカ公使の決定は私、並びに(注釈:臨時政府代表の)サンフォード・ドールに対し直接、公式に伝達されたものである。そしてアメリカ公使であるアルバート・ウィリスは、サンフォード・ドールの辞任を要求している。

上記の臨時政府もサンフォード・ドールも、ハワイの選挙権保持者からはこのような権限(註釈:ハワイを代表する権限)を一切付与されておらず、俗にいう公共治安委員会から、その権限を得たと仮定している。公共治安委員会は1893年1月17日に設立されたもので、大部分がアメリカ市民で構成されている。ハワイアンは一人として含まれず、また、いかなる形でも公共治安委員会設立に関わっていない。

アメリカ併合式典。イオラニ宮殿に星条旗が掲げられた(Photo Courtesy of Hawaii State Archive)


約4万人のハワイアンは、ハワイの独立を覆す権利を持つと主張する約3000人の臨時政府支持者から、何の意見も求められていない。ハワイアンはハワイの選挙権を合法に持つ人民の5分の4を占めており、労働力補充のため移植してきた人々を除けば、その比率はハワイアンが人口に占める割合にほぼ相当する。

同条約はハワイアンの公民権だけでなく、さらには先祖より受け継がれてきた王族の所有地をも無視するものである。条約により併合されるハワイの400万エーカーの領土のうち、100万もしくは91万5000エーカーは、過去、常に立憲君主の私有地とされてきたものであり、その他の私有地と全く同じ扱いを受けるべきものである。

法律の上で王室御料地と呼ばれ、現在または今後、合法的に立憲君主が所有権を持つその領地をも、同条約は、没収することを示唆している。領地、並びに過去一度も論争されたことのない領地の所有者、つまり今日においては法的に私に属するその領地の所有権につき、検討することも拒んでいる。

同条約は、ハワイアンを代表するハワイ王国主権者との間で交わされた以前の条約上、アメリカが表明したハワイ王国主権者との友好関係、信義誠実の関係を永続するという宣言を破るだけでなく、その他の友好国とハワイ王国が交わした全条約をも、ないがしろにするものである。それにより、同条約は国際法に違反する。

ハワイの領土を割譲する権利を主張している一団(注釈:ハワイ共和国)と条約を結ぶことにより、アメリカは、1893年にアメリカ政府と人民が法に基づいて選んだ公使、そして(注釈:ハワイ王国の転覆と臨時政府の設立は)武力の行使による不正でありハワイの不法支配であると宣言した公使の手から、そういった土地を取り上げることになる。

以上のような理由から、私、ハワイのリリウオカラニは、自分の権限と所有地(注釈:に対する判断)をいったん委ねた国の大統領に対し、ハワイ諸島を割譲する同条約へのさらなる検討を呼びかける。アメリカ合衆国の名誉ある連邦上院議員に対しては、同条約の批准を却下することを請願する。そして私達の先祖がかつてキリスト教を学んだ偉大な同国の国民には、自分達の先祖伝来の原理を教会の代表者に継続させるよう、ここに嘆願する。私はこの主張を、この世の全能の神、善悪の判断を下す神に向け、訴えるものである。

1897年6月17日、アメリカ合衆国、ワシントンD.C.にて記す。

(イメージ画像含め、写真全てHawaii State Archivesのもの)

 

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセント(水曜日担当)も務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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