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2021.01.22

マーチャント・ストリート

ここがポイント

ダウンタウンにあるマーチャント・ストリート。この道に残る、数々の歴史ある建物について、詳しく学びます。

イオラニ宮殿のあるホノルル・ダウンタウンは、1845年からハワイ王国の首都であったと同時に、ハワイのビジネスの中心地でもありました。貿易や捕鯨など、ハワイと世界をつなげる重要な役割を果たしていたホノルル港、そして、そこに向かって伸びるマーチャント・ストリート(Merchant Street)。マーチャントは商人、商業と訳される語で、その名の通り、ハワイのビジネスを牽引した会社が集まった道です。古くは1854年から1931年の間に建てられた美しい当時の建物が残り、国家歴史登録材として保存されているマーチャント・ストリート沿いの建物の数々。どのような建物が現在も残されているのか、過去の写真と共に見てみましょう。





マーチャント・ストリートは、ダウンタウンのメインストリートの一つ、キング・ストリートに平行して、1本海沿いにできた道です。カメハメハ大王像のあるアリイオラニ・ハレ(現在の最高裁判所)横から、ヌウアヌ・アベニューとの交差点までの、およそ600mと短い道ですが、そこはまるで、時間が止まったかのような空間が広がっています。ダウンタウン散策の際に、分かりやすい道順として、まずはカメハメハ大王像から出発してみましょう。



カメハメハ大王像、アリイオラニ・ハレについてはそれぞれの講座をご参照ください。

カメハメハ大王像


アリイオラニ・ハレ

カメハメハ大王像に向かって右隣りに、柱が並ぶ回廊を持つ建物が見えます。


キング・カラカウア・ビルディング King Kalākaua Building


住所:335 Merchant Street, Honolulu
完成:1922年





1898年にハワイがアメリカの準州となって以降、ハワイにアメリカ連邦政府機関のオフィスが必要となりました。そこで建てられたのが、1922年に完成し、現在、郵便局が入っているこの建物です。南カリフォルニアで普及した、赤茶色の瓦屋根が特徴のスパニッシュ・コロニアル・リバイバル様式で建てられており、この建築様式で建てられたものは、イオラニ宮殿周辺で他にも見られます。完成当初は、「アメリカ合衆国郵政局、税関および裁判所」との名称で、ハワイ準州における連邦政府機関の本部として使われていました。2003年からハワイ州所有の建物となり、名称も「キング・カラカウア・ビルディング」と変更され、郵便局とハワイ州商業消費者局のオフィスとして使われています。

キング・カラカウア・ビルディングは、その名の通り、カラカウア王とつながりがあります。カラカウア王は王に選出される前の1863年から1865年、ホノルルの郵便局長を務めていました。また、この建物のある場所は、カラカウア王の統治時代である1879年に完成した、1000人を収容できるレンガ造りのオペラハウスのあった場所でした。


(1897年、イオラニ宮殿から見たアリイオラニ・ハレ(左)とオペラハウス(写真中央))


ハワイアン・エレクトリック・カンパニー Hawaiian Electric CO., Inc.

場所:キング・ストリートとリチャーズ・ストリートの角
完成:1927年





キング・カラカウア・ビルディングに向かって右手には、同様のスパニッシュ様式の建物、ハワイアン・エレクトリック・カンパニー(Hawaiian Electric CO., Inc./HECO)の建物が見えます。写真は、キング・ストリートから見た姿ですが、マーチャント・ストリートは、この建物の裏手、海側にある道なので、良い目印になる建物です。

ハワイと電気の出会いは、カラカウア王とエジソンの出会いにまで遡ります。世界一周旅行を行っていたカラカウア王は、電球を発明したエジソンの存在を旅の途中で知り、1881年に自らニューヨークに出向いて、エジソンとの面談が実現しました。電気、電球の仕組みを、カラカウア王自らエジソンより学び、後に完成するイオラニ宮殿に、発電機と電球を取り入れました。その後、ホノルル市内でも電気が使われるようになり、1891年にHECOが設立されました。

設立当初の建物は、スパニッシュ様式の建物の右手に隣接する、青いフードが付いた窓が特徴的な建物で、そちらは1900年に建てられた、歴史あるものです。1927年に完成した建物にHECOが移り、現在もオフィスとして使われています。1900年に建てられたものは、企業のオフィスや店舗として使われています。


マーチャント・ストリートをさらに先に行き、アラケア・ストリートとの交差点を超え、次のビショップ・ストリートとの交差点に着くと、左前方に立派な建物が見えてきます。

アレクサンダー&ボールドウィン・ビルディング Alexander & Baldwin Building


住所:822 Bishop St. Honolulu
完成:1929年



ハワイにおける砂糖産業を牽引した5つの会社、「ビッグ・ファイブ」の内の一つ、アレクサンダー&ボールドウィンの本部が置かれている建物です。こちらの建物の歴史については、「クイーン・ストリート」の講座で詳しく取り上げます。


スタンゲンウォルド・ビルディング Stangenwald Building

住所:119 Merchant Street
完成:1901年



現代的なビルと対照的に、赤茶色のテラコッタの装飾が目をひくこの建物は、オーストリア人の医師、ヒューゴ・スタンゲンウォルド氏にちなむもので、1869年にこの土地を氏が購入し、自らのクリニックを設ける目的で設計され、1901年に完成しました。

その前年、チャイナタウンにて大規模な火事が発生し、木造建築が焼失したことから、建設当初からこのビルには、徹底的に防火対策が施されました。鉄筋とコンクリート、石を使った6階建ての建物で、完成した当初から1950年まで、オアフ島で最も高いオフィスビルとして知られており、また、同年に完成したワイキキのモアナホテル同様に、電動のエレベーターが導入されるなど、先進的な建物でした。残念ながら、このビルの完成を待たずに、スタンゲンウォルド医師は亡くなりました。現在は、店舗やオフィスとして使用されています。


ジャッド・ビルディング Judd Building

住所:843 Fort Street Mall
完成:1898年




(写真左奥はスタンゲンウォルド・ビルディング)

スタンゲンウォルド・ビルディングに隣接するジャッド・ビルディングが建てられている土地は、カメハメハ3世のアドバイザーとしても活躍したゲリット・ジャッド医師が所有、自らのオフィスを持っていた場所で、現代に残る建物は、この土地を継いだ息子、アルバート・F・ジャッドにより建てられたものです。旧モアナホテルを設計したオリバー・G・トラップヘイガンによる設計で、ハワイでは初となる、全ての部屋をオフィススペースとして貸し出される目的で造られたものでした。

最初にこのスペースを借りたのは、ビッグ・ファイブの一つ、アレクサンダー&ボールドウィンで、その後、バンク・オブ・ハワイや船会社など、ビルの持ち主が変わっていきましたが、1998年より、最初の借主であったアレクサンダー&ボールドウィンの所有となっています。建築当初は4階建てでしたが、1920年代に5階部分が増築され、現在の姿となっています。


ビショップ・エステイト・ビルディングとビショップ・バンク






黒い溶岩の石で造られた建物と、白い外観という対照的な建物が隣り合っている場所は、どちらも、カメハメハ大王のひ孫にあたるバーニース・パウアヒ王女の夫、チャールズ・R・ビショップ氏に関する建物です。白い外観のビショップ・バンクの方が歴史が古く、後に溶岩を使って建てられたビショップ・エステイト・ビルディングとは、中でつながっている構造をしています。

まずは、白い外観のビショップ・バンクの建物を見てみましょう。



ビショップ・バンク Bishop Bank

住所:63 Merchant Street
完成:1877年

ビショップ氏はハワイ王国時代の1858年、ハワイにとって最初となる銀行、ビショップ&カンパニー・バンク(Bishop &Co. Bank 現ファースト・ハワイアン・バンク)を設立しました。設立当初は、この建物の近くのビルの地下で営業していましたが、1870年代までには地下では賄えない程に成長し、現在に残る建物を建設しました。1877年に完成し、翌1878年にビショップ・バンクの本部として1925年まで使われました。その後、ビショップ・ストリートに、より大きな新社屋が完成し、銀行の機能がそちらに移った後、ビショップ&カンパニー・バンクからファースト・ハワイアン・バンクへと名称が変わりました。

(ビショップ・ストリートにできた新社屋。)


ビショップ・エステイト・ビルディング Bishop Estate Building


住所:77 Merchant Street
完成:1896年

1846年にニューヨークからハワイに移住したビショップ氏は、1850年にパウアヒ王女と結婚しました。1884年、ハワイ全土の9%もの広大な土地を、相続によって取得していたパウアヒ王女が亡くなると、王女の土地を管理するバーニース・パウアヒ・ビショップ・エステイトの長として、王女の遺言に沿って、ハワイアンの教育のためにカメハメハ・スクールが設立され、校舎がパウアヒ王女の所有していた土地に建設されました。また、ビショップ氏はビショップ・ミュージアムを、やはり王女の遺した土地に建設し、王女の遺品の管理から展示、さらにハワイとポリネシアの歴史・文化を伝える施設として、現在も重要な役割を担っています。

このような、王女の土地と、それに付随する施設の管理のためのオフィスとしてビショップ・エステイト・ビルディングは建設され、1979年まで使われていました。その後、弁護士のハリエット・ボスログ(Harriet Bouslog)氏が両ビルを購入したことで、現在はハリエット・ボスログ・ビルディングと呼ばれています。氏は1988年に亡くなりましたが、現在も氏が設立した団体のオフィスとして使われています。


メルチャーズ・ビルディング Melcher’s Building

住所:51 Merchant street
完成:1854年





ホノルルにおいて、現存する最古の商業ビルであるメルチャーズ・ビルディング。ドイツ人で貿易商のグスタフ・メルチャーズ氏とグスタフ・ライナース氏によって建てられたもので、小売店として1854年2月に開店、たばこをはじめ、ヨーロッパやアジアからの輸入品などが売られていました。両氏は1861年にはドイツに帰国しましたが、店員として働いていたシェーファー氏が1867年に店舗を購入し、ビジネスを続けていました。1920年代初期までにシェーファー氏は店を畳み、掘削や土地の改良を行うハワイ・ドレッジング・カンパニーが建物を購入した後に、増築がなされ、現在の大きさとなりました。1960年以降は、ホノルル市郡の所有となり、オフィスとして使われています。

カメハメハ5世郵便局 Kamehameha V Post office

住所:44 Merchant street
完成:1870年





メルチャーズ・ビルディングから、マーチャント・ストリートを挟んで向かい側に建てられた、当初の姿を残すカメハメハ5世郵便局。この建物は、ハワイで初めてコンクリートブロックと鉄筋を使って造られた、当時としては画期的な建物で、その名前の通り、郵便局として使われた建物です。

カメハメハ4世から5世の時代にかけての1862年から1865年の間、後に王に選出されるカラカウアは、ハワイ王国の郵政局長を務めており、郵便事業が少しずつ拡大する中、新しい建物を建てる必要性に気付いていました。1870年3月2日、当時のカメハメハ5世が定礎式を行い、新しい郵便局としての建物の建設が始まりました。完成後は、郵便局としてだけでなく、様々な用途で使われていた建物でしたが、1894年には、建物全体を郵便局として使うようになりました。

1922年に前述の「アメリカ合衆国郵政局、税関および裁判所」の建物が完成し、郵便事業がそちらに移った後は、裁判所として使われました。1993年に改築され、現在はクム・カフア・シアターとして、演劇を楽しめるようになっています。



横浜正金銀行 Yokohama Specie Bank

住所:36 Merchant street
完成:1910年





リリウオカラニ女王統治下の1892年、横浜正金銀行のホノルル支店が設立されました。設立当初は、貿易に付随する為替を主に扱う銀行で、本家の日本の横浜正金銀行でも、貿易の際に正しいレートでの現金(正金)での取引を行う役割を賄っていました。英語の名前にあるSpecieとは、正金の意味です。日本領事館の中で銀行業務が行われていましたが、1908年に、マーチャント・ストリートとべセル・ストリートの角の土地を銀行が購入、建物の建設が始まりました。

日本人移民も多くがこの銀行を利用していましたが、1941年12月7日の真珠湾攻撃を受けて、横浜正金銀行は外国人管理局に接収され、銀行業務も閉鎖されました。戦時中は、この建物の1階部分は、没収した物品の倉庫として、地下は独房がいくつも作られ、酩酊した兵士を収容する施設として使われていました。この銀行に預金していた人々は、預金の引き出しを要求しましたが、何年たっても却下される人々もおり、1967年になってようやく、訴訟の末に、政府が利子の支払いに応じたとい経緯がありました。

この建物はその後、持ち主が何度も変わりましたが、60年代から80年代の間に改築工事が数回行われた後、出版社のオフィスとして使われました。現在は、教育機関の施設として使われています。


旧ホノルル警察署/ウォルター・マリー・ギブソン・ビルディング
Old Police Station/ Walter Murray Gibson Building

住所:842 Bethel Street
完成:1930年



ホノルル市庁舎やホノルル美術館と同じ、当時人気だったスパニッシュ・リバイバル様式のこの建物は、この場所における警察署としては2代目の建物になります。カラカウア王の時代に、内務大臣がこの土地を購入し、1885年に警察署として2階建ての建物が建設されました。完成した建物は、内務大臣の名にちなみ、ウォルター・マリー・ギブソン・ビルディングと呼ばれました。1930年にこの建物は取り壊され、現在に残る建物が建てられました。

戦時中は、この建物が外国人管理局が接収した横浜正金銀行の向かいという立地から、一階部分は外国人管理局が使用していました。1960年代に入り、ホノルル警察が新庁舎に移転して以降、ホノルル市郡がオフィスとして使用しています。



ロイヤル・サルーン Royal Saloon

住所:2 Merchant street
完成:1890年



マーチャント・ストリートが始まる、ヌウアヌ・アベニューとの交差点に、レンガ造りの建物が見えます。もともとこの場所は、1870年代にロイヤル・ホテルと酒場であるサルーンがあった場所で、1886年にウォルター・C・ピーコック氏がこの土地を購入しました。ピーコック氏は、モアナホテルの創業者で、モアナホテルの建設前は、ダウンタウンで酒類の卸売業とサルーン経営を行っていた人物です。

1890年に完成したレンガ造りの建物は、ホノルル港にも近く、ロイヤル・サルーンとして開店すると、多くの船乗りや商人が集まりました。1916年にロイヤル・サルーンは閉店し、その後はオフィスや小売店として使われていましたが、ピーコック氏は1925年にこの建物を売却した後は、持ち主が何度も変わりました。1970年代にレストランに改築され、1987年から現在まで、アイリッシュ・パブとして地元の人々が集まります。この建物の正面上部には、ロイヤル・サルーンの名残として、ROYALの文字が見られます。


1800年代後半から1900年代初期のビジネスにおいて、世界へとつながるホノルル港の存在は大きく、それ故に、ビジネスや政治の中心がホノルル港につながる道沿いに集まっていました。その中でも、マーチャント・ストリートは、当時のビジネスの中心地としての役割を担っていた大切な場所です。マーチャント・ストリートで歴史を築いた建物が、今もしっかり保存されていますので、当時の見事な装飾を持つ建築の美しさと共に、どのような会社や機関があったのかを確かめながら、マーチャント・ストリート散策を楽しんでみてください。
 
  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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