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所用時間5min
2018.02.16

おかげさまで

ハワイ日系2世が抱いた価値観とは

アラワイ運河のマウカ(山側)、ハワイ大学マノア校にも近いモイリイリと呼ばれる日系人も多く住む地区に、ハワイ日本文化センター ( Japanese Cultural Center of Hawaiʻi ) が在ります。1994年(平成6年)、ホノルル日本人商工会議所が在った場所に新しいビルが建てられた際に、ハワイに住む日系人の“レガシー”とその文化と歴史を残すべく、「おかげさまで」と云う名の展示場が併せて創られました。

中に入ると、1868年(明治元年)、横浜からサイオト号でホノルルに着いた150名ほどの初の移民「元年者」と、1885年(明治18年)に開始された官約移民の紹介から始まり、砂糖キビ農園での労働や当時の住まいの様子が、ハワイに住んでいた日本人の日用品や台所用品、神棚や仏壇まで、日系の方々から寄附された貴重な品々と共に展示紹介されています。
見学していると、航海中の船の音や、砂糖キビ畑での作業中に歌われたホレホレ節も聞こえてきて、視覚ばかりでなく聴覚からも当時の生活の様子が伝わってきます。
展示場内は更に、明治の終わりから大正初めにかけて起きた砂糖農園での賃金改善を求めたストライキの様子、そして日系商店や街中の風景、第二次世界大戦へと移っていきます。ストライキの集会が行われたアアラ公園の写真には、それぞれの出身県を代表する移民宿、山城旅館や小林旅館が写っていますし、日本語学校の様子も再現されています。

1941年12月7日(日)の日本帝国海軍による真珠湾攻撃を受け、ハワイ生まれの2世の若者は敵性外国人と見なされながらも母国である米国のために戦うべく、欧州戦場に出兵していきました。無事ハワイに帰還した日系兵士の多くは、GIビル(第2次世界大戦からの帰還兵に与えられた給付金)を活用して大学を卒業し、政治家、法律家、医者、教育者、事業家として戦後のハワイをリードし、米国50番目の州への昇格にも寄与します。これらの出来事も展示と映画で紹介されています。

戦後のコーナーでは、日系米国人として初めて宇宙飛行士として選ばれながらも、1986年、スペースシャトル チャレンジャー号の爆発事故で命を失ったエリソン オニヅカも取り上げられています。

さて、この展示場の入口に、12個の石柱(模型)が立てられていて、それぞれに日本語が刻まれています。手前から、犠牲、義理、名誉、恥(と)誇り、責任、忠義、感謝、仕方がない、頑張り、我慢、恩、孝行、と書かれています。
これらの言葉は、この展示場を作る際に、当時まだ元気に活躍されていたハワイ日系2世の人達から、自分達の価値観として大事にしている日本語を募った結果、集められたものだと聞いています。

おかげさまで展示場入口に立つ石柱

日本から砂糖キビ農園に入植した1世の人達が味わった苦労と、その中で自分達の子供達に授けた教育。2世は両親や親戚、仲間から何を学んで育ったのか。ハワイ諸島各地に開設された日本語学校で米国人ながら何を学んだのか。そして、欧州戦線であれだけの血を流しながら勝利し、一方で太平洋戦争に通訳兵として従事し、自国である米国のために戦った意志の源が、この12の言葉の中に凝縮されています。
この展示場の出口付近に「おかげさまで」と云う言葉を日系の人達がどう云う意味合いで使っているかが紹介されています。それは英語で “I am what I am, because of you”。私はあなたのおかげで今の私でいられる、との意味合いになるのでしょうか。そして、日本から移民としてハワイに渡ってきた人々、それを迎え入れてくれたハワイ、そこでカマアイナ( kamaʻāina =その土地に生まれた人)になった人達、皆への感謝の上に立った、現在の自分の存在を表しています。アジア系として初めて米合衆国の州知事になったジョージ アリヨシ元ハワイ州知事も好んで使われるフレーズです。

「おかげさまで」展示は、ハワイの日系人社会が今に至る歴史を理解するには格好の場所の1つです。

この章のポイント

  • ハワイにおける2世の語る日系人の価値感とはどんなものなのか。ハワイ日本文化センターの展示場に示された12の言葉に凝縮されています。

付帯的な情報・発展情報

開館の曜日と時間は、ハワイ日本文化センター、Japanese Cultural Center of Hawaiʻi のウェブサイトなどで確認してから訪れて下さい。常に日本語案内人がいるわけではありませんので留意を。
ハワイ日本文化センターには資料室が併設されており、ハワイの日系人に関する貴重な本や書類が保存されています。


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ハワイ日本文化センター

 

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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