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所用時間5min
2014.09.22

チャールズ・ビショップ

カメハメハ三世以降、六代の王に厚い信頼を得た米国人が居ました。

  • ハワイ王国の王と女王は全員ハワイアンの人達でしたが、それを補佐し王国の繁栄に寄与した西欧人が居ました。その一人がチャールズ リード ビショップでした。
     
  • チャールズは、45年ハワイに住んだ後、72歳でサンフランシスコに移住しています。1906年のサンフランシスコ大地震に遭遇した後、バークレーに転居し、そこで1915年に93歳で亡くなります、遺灰はホノルルに運ばれ、マウナアラの王家の墓のパウアヒの隣に安置されています。

 

その名はチャールズ リード ビショップ ( Charles Reed Bishop )。1846年2月、友人の弁護士ウイリアム リーと共に当時のオレゴンで新しい事業を始めようと、マサチューセッツのニューベリーポートでホノルル経由の貿易船に乗り込みました。

ビショップ(右)とリー(ビショップ ミュージアムの展示物より)

南米大陸の南端を廻り太平洋に入り、オレゴンまで四か月の航海を予定していたものの、悪天候に阻まれ、八か月の航海を経てホノルルにようやく到着。船の修理が行われている間に、若い二人は早速仕事先を見つけ、ハワイに留まることを決意します。そして、ビショップは1849年にハワイ王国の国民になりました。

 

ホノルルのロイヤルスクールで知り合った10歳年下の、カメハメハ大王の曾孫にあたるバニース パウアヒ王女と1850年6月に結婚。

結婚当時のチャールズとパウアヒ
(ビショップ ミュージアムの展示物より)

その後、ハワイ王国の政治、経済に多くの功績を残すことになります。若い時から商業や簿記に携わっていたビショップは、ホノルルの米国領事館勤務や商業に従事し、更には税関の主要業務を任された後、1858年にBishop and Company と云うハワイで最初の銀行を設立。自らの事業を拡大させていきました。その銀行はビショップ バンク、そしてファースト ハワイアン バンクと名前を替え、現在もハワイ州の大銀行の一つとして営業を続けています

1878年撮影と思われる銀行の建物(ビショップ ミュージアムの展示物より)

彼が最初に銀行の営業を始めた建物は、ホノルルのダウンタウン、マーチャント通りで今も使われています。

マーチャント通りに現存する建物

結婚当時は小さな家に慎ましやかに住んでいましたが、妻、パウアヒの父「パキ」の亡き後は、譲り受けた邸宅「ハレアカラ」に住み、二階建ての邸宅はホノルルの社交と慈善事業の中心の一つになりました。当時、ビショップ通りはまだ無かったと思われますが、この家の敷地は、ホノルルの中心地、現在のフォート、ホテル、ビショップ、キングの四つの通りに囲まれたあたりに在りました。

 

ビショップの手腕は商業のみに留まらず、王国の政治にも永年、力が注がれ、1859年から1892年まで王国の議員として活動し、内務、外務、財務の委員長を歴任。同時に、王に直接進言を行う重要な役職Priory Council の一員にも任命されています。1873年にはルナリロ王の下で外務大臣を務めました。政財界での活躍は教育界にも向けられ、ルナリロ、カラカウア、そしてリリウオカラニ女王の三代の王の下で教育委員会のトップを務め、パウアヒの没後、亡き妻の遺言に従いカメハメハ スクールを開校し、自身も管財人となり、ネイティヴ ハワイアンの子弟の教育に力を注ぎました。又、ハワイの文化を後世に伝えようと、学校の敷地内に博物館を建設。「バニース パウアヒ ビショップ ミュージアム」として、現在もポリネシア文化を伝える重要な施設となっています。1867年から30年間は、ハワイの有名私立校プナホウ スクールの前身にあたるオアフ カレッジの管財人でもありました。

1880年撮影と思われるビショップ氏
(ビショップ ミュージアムの展示物より)

チャールズ リード ビショップは、ハドソン川の上流、ニューヨーク州グレンズ フォールズの生まれです。生家は貧しかったようで、父、サミュエルはハドソン川を渡る橋の通行料を徴収して生計を立てており、家もその橋の途中の島に在りました。

 

母、マリアを早く亡くし、祖父の経営する牧場で働き、15歳の時には近くの町に働きに出ています。若くして商店で働いた経験と、その時に習得した商業と簿記の知識が、その後の新天地ハワイで成功を収める基盤となったのでしょう。

グレンズ フォールズのチャールズの生家
(ビショップ ミュージアムの展示物より)

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  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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