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所用時間5min
2021.07.15

王族とサーフィン

ここがポイント

一般の人々に並び、王族も楽しんでいたサーフィン。そこに生まれたルールや、使用するボードの違い、サーフィンに関するヘイアウなど、王族ならではのサーフィンの世界を見てみましょう。

古代の人々が、東南アジアから太平洋の島々へと、西から東に向かって移住するに伴い、板などを使った波乗りの遊びも、島から島へと伝わっていきました。その波乗り、サーフィンの文化がハワイに到達する頃には、使われていた板が大きくなり、板の上に立つことが可能となったことで、ハワイでサーフィンの技術が磨かれていくことになります。

詳しくは「古代の人々とサーフィン」をご参照ください。


王族はサーフィンの名手

古代からハワイでは、年齢を問わず、一般の人々も王族も、皆サーフィンを楽しんできました。特に王族については、日々の労働に時間を費やす必要がなく、さらに、サーフィンの仕方を学ぶ機会が設けられていたことなどから、サーフィンに費やされる時間は一般の人々よりも多く、王族にはサーフィンの名手が多く誕生しています。

カメハメハ大王もその一人で、ハワイ島西部、1300年代から王族の居住地であり、カメハメハ大王が母と住んだ地に近いホルアロア(Hōlualoa)湾のケオロナヒヒ(Keolonāhihi、カモア・ポイント)で、サーフィンの仕方を学びました。


(カモア・ポイント* 1890年)

カメハメハ大王の妃の一人、カアフマヌ女王は、サーフィンをワイキキでも行っていました。使用していたサーフボードが重いことから、カヌーでサーフボードを沖まで引っ張り、カヌーからサーフボードに飛び乗って岸まで戻るという技をも持っていました。


(カアフマヌ女王)

カアフマヌ女王と同じく、ワイキキにてサーフィンを楽しんでいたのが、サーフィンの名手としても有名な首長、カメハメハ大王のひ孫にあたるバーニース・パウアヒ王女の父、アブナー・パキ(Abner Pākī)。長さ4.7m、幅48㎝、頑丈なコアの木で作られた重いサーフボードを使いこなしていました。


(アブナー・パキ首長)

サーフィンは、王族にとっては遊びという側面だけでなく、運動の一つとして、体力維持・健康維持のために行うという側面も持っていました。

王族と同じ波に乗ってしまったら…

一般の人々も王族も、サーフィンを楽しむことができましたが、両者がサーフィンを行う場所は、厳しく分けられていました。もし一般の人が王族と同じ波に乗ってしまえば、岸に戻った途端に身柄を確保され、死刑に処されるという厳しいルールがありました。

サーフィンに関するヘイアウ

サーフィンを行うにあたって、良い波に出会えるよう、そして、海での安全を祈願するための、サーフィンに関するヘイアウ(神殿)がハワイにはいくつか存在します。ハワイ島西部、カハルウ(Kahaluʻu)湾を目の前に建てられた、クエマヌ(Kuʻemanu)ヘイアウがその一つで、現在も、溶岩の石が積み上げられて造られた土台が残されています。ヘイアウの横には真水が溜められた小さな石のプールがあり、かつて、王族がサーフィンから上がった際に、体を洗う目的で使われていただろうとされています。

王国時代、王族の「保養地」として、多くの王族がサーフィンを楽しんだワイキキにも、ダイヤモンドヘッドの裾野にサーフィンに関するヘイアウがありました。現在は、ラ・ピエトラ・ハワイ・スクール・フォー・ガールズという女子校の校舎となっている場所には、かつてパパエナエナ(Papaʻenaʻena)ヘイアウが建っており、サーフィンを行う際に参拝することが行われていました。また、このヘイアウには、波の良し悪しを知らせるカフナが常駐しており、良い波が出ている時には、月形の凧を揚げて、人々に知らせていました。

これらのヘイアウも含め、ハワイのヘイアウは1819年以降、カメハメハ2世とカアフマヌ女王の意向により破壊されてしまっています。

サーフボードの違い

サーフボードは、ハワイ語でパパ・ヘエ・ナル(Papa he‘e nalu)といい、「波を滑るための板」という意味になります。ハワイでは、サーフボードの長さにバリエーションがあり、現在のボディーボードにあたる、長さ1.2m程のものから、5mを超えるものまでが使われてきました。

王族がサーフィンを楽しんでいた時代は、素材には主に、カヌーにも使われる頑丈なコアの木が使われ、パンの木(ʻulu)が使われることもありました。外国との交易が始まると、松や杉など、輸入された木材からもサーフボードが作られるようになります。しかし、コア以外で作られたボードは、時が経つとともに傷んでいくため、昔使われていたもので現在も残っているものは、主にコアでできたボードになります。

一般の人々には、「アライア」と呼ばれる、先端が丸くて薄いタイプのサーフボードが使われており、長さが2.5m前後のものがよく使われていたようです。ボードが薄く、扱いやすいことから、カイウラニ王女もアライアタイプのサーフボードを所有しており、サーフィンを積極的に楽しんでいました。

王族は総じて、一般の人々よりも背が高く、体格が良いことから、一般の人々のものよりも、長く大きいサーフボードが使われました。「オロ」と呼ばれるタイプのサーフボードは、長さが5mを超え、厚みがあり、重さが70㎏にもなるもので、上記のパキ首長や、クヒオ王子が「オロ」タイプのサーフボードを所有していました。

アメリカで初めてサーフィンを披露した王族


(クヒオ王子、デイビッド・カワナナコア王子、エドワード・ケリイアホヌイ王子)

カラカウア王の命により、クヒオ王子を含む3人の王子が、カリフォルニアの軍事学校にて学ぶことになりました。1885年の夏、王子たちは自らサーフボードを作り、サンロレンソ川の河口でサーフィンを行いました。これが、ハワイのサーフィンが初めてアメリカで行われたものだと見られています。

進化するサーフィンのスタイル

サーフィンは、ボードを使うだけでなく、また、海の上で楽しむだけでなく、様々なスタイルで楽しまれるように進化していきました。19世紀から20世紀にハワイアンの間で行われていたサーフィンを、歴史研究家のジョン・クラーク氏が、6つの種類に分類しました。

・サーフィン(He‘e nalu)
・カヌーサーフィン(Pākākā nalu)
  沖までカヌーで向かい、方向を変えて波と共に岸に向かう
・ボディーサーフィン(Kaha nalu)
  板などを使わず、体だけを使う
・ボディーボーディング(Pae po‘o)
・サンドスライディング(He‘e one)
・リバーサーフィン(He‘e pu‘ewai)


(カヌーサーフィンの様子)

王族も含め、ハワイでは人々の生活に深く浸透してきたサーフィン。古代の波乗りの遊びが、板の進化と共に、乗り方や楽しみ方も進化していきました。しかしながら、キリスト教宣教師がハワイに到着し、各地で布教を始め、王族の子弟の教育や政治に関わっていくに従い、サーフィンを楽しむ人々の姿が、ハワイの海から消え去っていくことになりました…。

(写真:*カモア・ポイントーWikimedia.orgより。Public Domain。他の白黒写真はHawaii State Archives、その他はHawaii Historic Tour LLC所有)
  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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