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2019.01.01

ハワイ島の日本人町 新町と椰子島

ハワイ島ヒロの日本人町 新町と椰子島

この章のポイント
  • ハワイ島ヒロには2つの日本人町があり、栄えていた。
  • 1960年の津波によって日本人町は壊滅し、跡地は今、緑地となっている。

ヒロの津波と日系移民

ハワイ島ヒロといえば、フラ競技会最高峰のメリーモナークフェスティバルの開催地。そんなことから、ハワイ文化の色濃い街としての印象がありますが、実際には移民文化の影響が濃厚な街でもあります。19世紀以降、ヒロ周辺には砂糖きび耕地がたくさんあり、日本人をはじめ多数の移民が入植したからです。

移民達の一部は砂糖きび耕地での労働契約が終了した後、ヒロ湾に臨む商業地区、ダウンタウン近くに移住。ビジネスを始めた人々も多数いました。ロコモコで有名なカフェ100や、ハワイ島を代表するスーパーマーケットチェーン、KTAスーパーなどがその一例です。

中でも日本人移民が集中して住んでいたのが、今ではヒロ・ハワイアンホテルなど主だったホテルが集まるワイアケア半島、そして半島からややダウンタウン寄りの一角。一帯には新町&椰子島という2つの日本人町があり、1960年のチリ沖地震による津波で壊滅的な打撃を受けるまで、賑わっていました。

新町跡には今、ワイロア川州立公園に

新町跡は今、ワイロア川州立公園になっている

2つの日本人町のうち、新町があったのが、今はワイロア州立公園が広がる地域です。カメハメハ大王像が建つことで知られる緑の公園ですが、その昔は日本人が集中して住み、住居のほか稲荷神社や寺、教会、パン屋や工場、ガソリンスタンドなどが集まり町を構成していました。

一帯はまず1946年のヒロ津波で打撃を受け、住民は力を合わせて町を復興。ところが1960年の大津波で再び壊滅的な打撃を受け、その後、住民が戻ることはありませんでした。津波の悲劇を繰り返すまいと、ハワイ州は同地域を住居エリアから除くことを決定。後に住人から土地を買い取って緑地帯に指定し、州立公園が造られることになったからです。

後年、ハワイ州は公園の後方部分に高さ6メートルの土手を築き、その上にハワイ州&ハワイ島郡の政府ビルを建設しましたが、かつてのように住宅や商店がこの地に戻ってくる可能性は皆無というわけです。

新町の名残り、ピオピオ橋の跡

残念ながら一帯に新町の名残りはなく、町の目抜き通りだったピオピオ通りにかかっていた橋の柵だけが、唯一の忘れ形見。さらにカメハメハ大王像の後方(大王像を背にして立つと、左側後方)には、新町の元住人で構成する新町クラブが後年、寄贈した大きな記念碑が、静かに横たわっています。

美しい記念碑の存在を知る人は、ヒロの住民以外では少ないですが、ヒロのカメハメハ大王像を訪れる際にはぜひ、後方の津波記念碑まで足を延ばしていただきたいもの。半世紀前の町の賑わいに、想いを馳せてみてください。

美しい津波の記念碑。カメハメハ大王像を背にして立つと左側後方、徒歩約5分の位置にある

椰子島と運命の津波時計

2つめの日本人町、椰子島があったのは、前述のワイアケア半島。バニヤンの大樹の並木道、バニヤンドライブ周辺に町が広がっていました。椰子島はワイアケアタウンとも呼ばれ、すぐ近くのココナッツアイランドとは全く別のエリア。町には小学校、中学校もあり、新町の子供たちも通っていました。

一帯には住居のほかに商店も集り、既に述べたようにカフェ100やKTAスーパー、そして新鮮なポケで旅行客にも人気のスイサン・フィッシュマーケットも、椰子島の発祥です。

新町と同様、椰子島の運命を変えたのが1960年の津波でした。同年5月22日、チリ沖でマグニチュード9.5の地震があり、23日の午前1時4分に高さ6メートルの波がヒロに到着したのです。

椰子島の痕跡は残っていませんが、唯一残っているのが、津波時計、または運命の日の時計とも呼ばれる以下の時計(下の写真)。この時計はかつて町の社交施設に設置され、津波後、瓦礫の中から発見されたもの。時計の針は津波が襲った瞬間、つまり1時4分を指したまま止まっており、津波の悲劇を今に伝えています。

運命の津波時計。スイサン・フィッシュマーケットからリヒヴァイSt.沿いを歩き、カメハメハAve.との角を左折。スイサンから徒歩5、6分

時計は今、ワイアケア半島の山側、カメハメハ通り沿いに記念碑として立てられており、周辺には当時の椰子島の写真を含む説明ボードも。ヒロ・ハワイアンホテルからは徒歩15分前後なので、ぜひ訪問していただきたいと思います。

余談ですが、カフェ100をはじめ、椰子島にあった数々の商店が津波の後に軒並み移転した中、スイサン・フィッシュマーケットだけは今も健在。元の海辺の店舗を再建し、今ではハワイ島最大の水産会社に成長しています。

(冒頭の写真:Photo Provided by Hawaii State Archives)

 

 


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  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセント(水曜日担当)も務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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