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2015.03.11

ワシントンプレイス

ハワイ王国最後の女王、リリウオカラニの暮らした館

  • ワシントンプレイスはリリウオカラニ女王の夫ジョン・ドミニスの実家
  • ジョン・ドミニスとの結婚を機に、女王退位後、78歳で死去するまでリリウオカラニが暮らした
  • 一時ハワイ州知事公邸として使われ、今では博物館として公開されている

【命名の由来】
ワシントンプレイスはジョン・ドミニス船長により建てられたが、ドミニス船長は完成前に海難事故で死去。そこで未亡人は生活のためワシントンプレイスの数部屋を貸し出すことに。住人の一人だったアメリカ合衆国総督が、1848年、故ジョージ・ワシントンの誕生日を祝い、屋敷をワシントンプレイスと名付けることを提案した。


【データ】
住所:320 Beretania St. Honolulu 
電話:586-0248 
見学ツアー:毎週木曜の10時(約45分)。予約制
http://www.washingtonplacefoundation.org/

リリウオカラニ女王の愛した白亜の館
ホノルル・ダウンタウンにある白亜の館、ワシントンプレイスは、ハワイ王朝最後の女王であるリリウオカラニの終の棲家1917年に死去するまでリリウオカラニ女王が暮らしたのが、夫ジョン・ドミノスの実家であるワシントンプレイスでした。今では博物館として公開され、女王の寝室や美しいピアノ、宝石といった女王愛用の品々を、間近に見ることができます。
 

ワシントンプレイスは元々1847年、裕福なアメリカ人貿易商、ジョン・ドミニス船長によって建てられました。当時はハワイ王国3代目のカメハメハ3世の治世。王国首都がマウイ島ラハイナからホノルルに移される3年前のことでした。
 

その頃のホノルルは未開の地であり、大きな建物はついぞなく、藁ぶき屋根の家が当たり前の時代。そんな時代にあって、ギリシャ復古調の白亜の豪邸、ワシントンプレイスは、とにかく目立っていたよう。ワイキキからダウンタウンまで見渡す限りの平原が広がり、なんと遥か遠いワイキキから、ワシントンプレイスが見えたそうです。
 

当時9歳だったリリウオカラニは、学校の遠足で完成直後のワシントンプレイスを見学に来たそうですし、時期は異なりますが、カメハメハ5世もまた遠足で訪れたとか。ハワイ王族にとっても、ワシントンプレイスはそれだけ特別で豪奢な屋敷だったというわけです。

ホノルル・ダウンタウンにあるワシントンプレイス

78歳で死去するまで暮らしたのもここ
運命とは奇なもの。遠足でワシントンプレイスを訪れたリリウオカラニはその15年後、24歳で2代目ジョン・ドミニス(先の船長の一人息子)と結婚。ワシントンプレイスの住人となりました。兄カラカウア王の跡を次いで王国8代目の君主に就任した1891年後にも、イオラニ宮殿で始終暮らしたわけではなく、基本的にワシントンプレイスで暮らしていたとされています。そして1893年の王朝転覆後、今度はイオラニ宮殿から追い出される形で、ワシントンプレイスで暮らすことになったのでした。
 

ちなみにワシントンプレイスはイオラニ宮殿のちょうど真裏、100メートルほど山側に位置します。王座を追われた後、宮殿を眺めながらの生活は決して容易なものではなかったでしょう。ですが救われるのは、リリウオカラニがワシントンプレイスを心から愛していたという事実があるからです。その自叙伝「ハワイの女王によるハワイの物語」中でリリウオカラニは、ワシントンプレイスについて以下のように記しています。
 

「…本当に宮殿のような住まいで、外観が魅惑的なのと同じく内部の調度も心地よい」
 

王女時代から、一市民として78歳で死去するまで半世紀以上にわたりリリウオカラニが過ごしたワシントンプレイスは、良くも悪くも、リリウオカラニのさまざまな思い出、想いが詰まった場所と言えそうです。

ワシントンプレイスでのリリウオカラニ女王(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)

なおリリウオカラニの死から4年後、ワシントンプレイスは甥のクヒオ王子の手を経て売却され、1922年から2002年まではハワイ州知事公邸として機能していました。ですが2002年、歴史的価値の高い建物を博物館として保存したいとの州の意向のもと、敷地内に別棟の新公邸が完成。今ではワシントンプレイスは博物館として予約制のツアーで公開されているほか、晩餐室とテラスだけが州の行事に使われています(2017年10月現在、改装工事のためツアーは休止中。再開時期についてはホームページで確認を)。
 

この見学ツアーでは音楽室、女王の亡くなった寝室、豪華な晩餐室などがある1階部分だけを公開。音楽室には女王愛用のコアウッド製のピアノや、女王の葬式でも使われた対のカヒリ(王族の居場所で掲げられた羽毛付きのスティック)などが。また寝室には女王が亡くなるまで使用したマホガニー製のベッドなどが展示されています。

「アロハ・オエ」の記念碑

一方、庭には、リリウオカラニが作詞・作曲した名曲「アロハ・オエ」の記念碑が。ハワイ語&英語でその歌詞が刻まれた記念碑は、柵の外からも見学が可能。また庭には、リリウオカラニが愛した花、クラウンフラワーが咲き乱れた一角も。見学ツアーに参加する時間がなくとも、徒歩1、2分のイオラニ宮殿見学と合わせて、ぜひワシントンプレイスも訪れていただきたいと思います。

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  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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