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2015.12.24

カラウパパ

カラウパパ半島の歴史

背後を閉ざすように立ちはだかる絶壁に囲まれた陸の孤島カラウパパ。この半島はいまから20万年ほど前に誕生しました。カラウパパ半島は500mを超す崖に取り囲まれています。この土地はモロカイ島を管轄するマウイ郡ではなく、半島東部の地名を取ってカラヴァオ郡として独立していて、カラウパパ国立歴史公園に指定されています。また、カラウパパを望む南の高台にはパアラウ州立公園が広がり、展望台からは半島西部を一望できます。
 

カラウパパ半島は、当初手つかずの土地でしたが、900年ほど前に農地として開墾されました。18世紀後半に西欧人との接触がはじまると、先住のハワイ人の多くは伝染病に罹りました。西欧人が持ちこんだ様々な伝染病のせいで、ハワイの人口は10分の1まで激減したのです。ハンセン病もそのひとつでした。最初の患者は1840年に記録され、その後1868年に、カメハメハ5世の命令によってハンセン病患者の隔離施設がこの半島に作られました。感染者は例外なく強制的にこの地に隔離されたのでした。

急傾斜をラバで下る

ハンセン病患者の隔離は、およそ100年間続き、1969年に接触感染の予防法が確立して廃止されました。しかし、カラウパパでは患者の大半が引っ越しを望まず、今も20名ほど(2015年現在)がこの地で静かに暮らしています。
 

半島に患者が移された当初は世の中から見捨てられたような状態でした。しかし1873年にベルギー人のダミアン神父(本名はヨゼフ・デ・ブーステル)が患者の精神的支えとしてこの地に永住を決意します。神父の活動により教会や病院など各種の公共施設や住宅が建てられ、最低限ではあったものの、人間としての尊厳が保たれたのです。

カラヴァオの海岸線

さらに1883年にはニューヨーク州からマザー・マリアンヌ・コープが来島します。ダミアン神父の要請に応えて患者たちの生活環境の改善に尽力し、後に、ハンセン病に感染したダミアン神父を看取ると、その後を引き継いでカラウパパのさまざまな環境改善に尽力しました。1918年に亡くなり、その後、亡骸はニューヨーク州に戻されました。
 

亡くなったダミアン神父は、半島の東側に位置するカラヴァオ地区の聖フィロメナ・カトリック教会に埋葬されています。カラウパパにおける長い功績が評価され、2009年にはダミアン神父が、2012年にはマザー・マリアンが聖人に列せらされました。聖ダミアンの銅像はホノルル市役所前とモロカイ島に、聖マリアンヌの銅像はオアフ島のアラモアナの端に建てられています。また、ワイキキにはダミアン資料館があります。

ダミアン神父の墓

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  • 近藤 純夫
    Sumio Kondo
    担当講師

    エッセイスト、翻訳家。写真家。 ハワイ火山国立公園アドバイザリースタッフ。フラ・ミュージアム(スパ・リゾート・ハワイアンズ)アドバイザー。アロハ・カワラ版(パシフィック・リゾート)アドバイザー。国内外で各種のカルチャー講座を主催。ハワイ関連の著書に『フラの花100 』(平凡社)、『歩きたくなるHawaii』(亜紀書房)、『アロハ検定オフィシャル・ブック』(共著・ダイヤモンド社)、『フラの本』(講談社)、『ハワイアンガーデン』、『ハワイ・ブック』、『ハワイ・トレッキング』、『ハワイ諸島の自然』(以上、平凡社)、『おもしろハワイ学』(JTB)、『裏ハワイ読本』(共著、宝島社)など。訳書に『イザベラ・バードのハワイ紀行』(平凡社)、『ナショナル・ジオグラフィック 荒ぶる地球』(岩波書店)など。フェイスブックで毎日ハワイの小咄と写真を発信している。 「Facebook」https://www.facebook.com/kondo.sumio

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