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2019.04.10

ハワイ島の通りの名(その1)

ハワイ島の通りの名(その1)

Island of Hawai‘i street names ( Part 1 )

カメハメハ大王が生まれ、治め、亡くなった島「モク オ ケアヴェ」

 ハワイ島 ( Island of Hawaiʻi ) は、モク オ ケアヴェ ( Moku o Keawe ) とも呼ばれます。
moku は島、Keawe はハワイ島を治めた卓越したアリイ ( ali’i=首長 ) の名です。


ハワイ8島の中で生成年代が最も新しいハワイ島を表すのに使われる色は赤。新しく流れ出た溶岩の上に最初に自生する木、オヒア ( ʻŌhiʻa ) に咲くレフア ( Lehua ) の鮮やかな色です。


高級ビーチリゾートが点在するのは、貿易風の風下にあたる島の西側、コナの近く。

一方、この島の行政区域であるハワイ郡 ( County of Hawaiʻi ) の郡庁は、貿易風の風上、島の東側ヒロ ( Hilo ) に置かれています。

ハワイ島を象徴する色、オヒアに咲くレフアの赤

先ずは、砂糖産業が盛んであった時代の面影を今も残すヒロの町に、紹介したい通りを探してみましょう。

ヒロの概略地図

ヒロ空港の滑走路北側からヒロ湾に沿って西へ、ワイルク川 ( Wailuku 、wai=水、川。 luku=破壊や殺戮。戦いの言い伝えのある場所なのでしょう ) に向かって延びる幹線道路にカメハメハ アベニューの名が付けられています。さすが、カメハメハ大王 ( Kamehameha Nui ) が生まれ、統治した島の郡庁所在地です。

この道が通るヒロ湾沿いには緑地や公園が続きますが、以前は活気ある街並みが続く地区でした。

カメハメハ アベニューの道路標示

北に向かって大きく口を広げるヒロ湾には何度も大きな津波が押し寄せていますが、1946年4月のアリューシャン列島で起きた地震による大津波はこの町に甚大な被害を及ぼし、湾に面した商店や住宅の大半が流され、そこが現在緑地として残されている地域です。カメハメハ大王像の建つあたりは津波で流される以前、「新町」と呼ばれる日系人が多く住む地域でした。


カメハメハ通り沿いにある太平洋津波博物館を訪ねると、津波の大きな被害を受ける前の町の様子が良く分ります。

太平洋津波博物館 ( Pacific Tsunami Museum )

ヒロの街中には、ハワイ王国7代目の王、カラカウア ( Kalākaua ) や、そのお后カピオラニ ( Kapiʻolani ) 、そしてケアヴェの名を冠した道も在ります。

前述のハワイ島の花レフアも、カノエレフア アベニューと云う通りの名で残されています。

ノエ ( noe ) は霧。赤いレフアに流れる白い霧。ハワイらしい美しい光景ですが、この美しい表現の奥にはきっとハワイ語特有のカオナ( kaona=言葉の裏に隠されたもう1つの意味)が人から人へと口伝えで語り継がれているのでしょう。

カノエレフア アベニューの道路標示

カメハメハ通りからワイルク川に沿って山に向かって上っていく道の先には、マウナケア ( Mauna Kea )  山腹から流れてくる川が激しく流れ落ちるレインボー滝が在りますが、その道にはワイアヌエヌエ ( Waiānuenue ) アベニューと云う名が付けられています。

ワイ ( wai ) は水や川、そしてアヌエヌエ( ānuenue ) は虹を意味します。

 

ワイアヌエヌエ アベニューの道路標示

太平洋津波博物館の展示によると、1916年(大正5年)に郡の新しい条例が出来、それまで英語に起因した通りの名がヒロの町の多くを占めていたものが、それを機にハワイ語の名に置き換えられたのだそうです。
 

島の西側、日本からの直行便が毎日運航されているコナ国際空港の前を南北に走る幹線道路には、カメハメハ大王の后の1人、カアフマヌ ( Kaʻahumanu ) ハイウエイの名が付けられています。 

ka は単数の定冠詞、 ʻahu はケープ、 manu は鳥で、王妃の名はアリイの象徴でもある鳥の羽のケープを意味しますが、この名にも妃を愛でる、もっと深い意味合い(カオナ)があるのでしょう。

カアフマヌ (ハーブ カネが描いたカイルアコナでのカメハメハ大王の絵画の一部分。キング カメハメハ コナビーチ ホテルのフロント横に在る絵画)

空港から北へ、ビーチリゾートへ向かう広い道は、活火山であるマウナロア ( Mauna Loa ) とフアラライ ( Hualālai ) から流れ出た極めて新しい溶岩の上を走り、雄大な景色が楽しめますし、天気の良い日にはマウナケアの山頂ばかりでなく、北北西の洋上遥か沖合には隣島マウイのハレアカラ ( Haleakalā、hale=家、lā=太陽)まで見渡せます。
1778年にクック船長がハワイ島に上陸した頃、カメハメハ大王の叔父、カラ二オプウ ( Kalaniʻōpuʻu ) がハワイ島全土を支配していた時代、隣の島マウイ、ハレアカラ山の東側ハナ( Hāna ) もカラ二オプウが支配していました。その下でハナ地区の首長 ( ali’i ) であったのがケエアウモク ( Keʻeaumoku ) 。そしてケエアウモクの娘カアフマヌがカメハメハ大王の妃の1人。

王の系図が少しつながってきましたか?

 

隣のマウイ島、カフルイ空港からハレアカラ山麓を通りハナへ通じる道は狭くて曲がりくねり、かなりの難所で、昔は同じ島であってもカヌーで海を移動しないと行けない場所だったことが分かります。


海を隔てたハワイ島のカアフマヌ ハイウエイを走ってみると、当時のハナ地区はマウイ島のアリイが統治するより、ハワイ島のアリイが治める方が地理的にも有利であったのではないかと、思えてきます。

ハワイ島北西部カワイハエから見た、隣島マウイのハレアカラ

コナ空港からカアフマヌ ハイウエイを南下すると、カイルア コナとケアウホウの町へと向かいます。

カイルア コナとケアウホウ周辺地図

カイルア ( Kailua ) はカメハメハ大王が晩年を過ごしたところですが、この町からケアウホウ ( Keauhou ) への道には、首長を意味するアリイ ドライブの名が付けられています。

カイルア コナ、キング カメハメハ コナリゾート ホテル裏、カメハメハ大王が晩年を過ごしたと云われる場所

アリイ ドライブを南に進むとケアウホウ近くで、フアラライ山から流れた溶岩の中を下ってくる道と合流しますが、この道にはカメハメハ3世ロードの名が付けられています。

カメハメハ大王の息子の1人である3世、カウイケアオウリ ( Kauikeaouli ) は、このケアウホウの地で生まれたと伝えられていて、若くして亡くなった兄、カメハメハ2世、リホリホ ( Liholiho ) の後を受け、1925年、10歳で王になり、30年間在位していました。

ケアウホウ湾

ヒロとコナ、ハワイ島の東と西では全く景色や気候が違いますが、それぞれの町の道の名にはハワイ文化と歴史が色濃く残されています。

この章のポイント

  • ハワイ島には、カメハメハ大王による王国成立よりかなり前の首長の歴史から日系人の歴史までがぎっしり詰まっていますが、この章では、ヒロとコナのあたりを中心に紹介しました。他の地区については次の章を参照下さい。

付帯的な情報・発展情報

コナ国際空港には、ハワイ島生まれの日系人初の宇宙飛行士で、フロリダ州でのチャレンジャー号の打上げ直後に爆発で命を落としたエリソン オニヅカ飛行士の名が付けられており、ホノルルのダニエルKイノウエ国際空港と共に、日本からの直行便が到着する2つの空港には日系人の名が冠されています。


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  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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