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2018.10.18

カウアイ島の通りの名

カウアイ島の通りの名

カウアイ島の通りの名に、ハワイの文化と歴史を探る

マノカラニポ (Manokalanipō) 。カウアイ (Kauaʻi) の秀でたアリイ(首長)であったと伝えられる人物の名から、カウアイ島はこのようにも呼ばれます。
ハワイ8島の中では生成年代の古い1つの火山から成り立つ、ほぼ楕円の形をした島です。
島を廻る幹線道路が通じていますが、北西部は断崖絶壁が海まで続き、細い獣道のような急坂の歩道があるだけで、車の通れる道路はありません。
リフエから両方向に延びる幹線道路には、カウアイ郡庁舎前のライス ストリート (Rice St.)との交差点を境にして、西方向はカウムアリイ ハイウエイ、東から北部へ回り込む道はクヒオ ハイウエイと、それぞれカウアイに因んだ名が付けられています。

カウアイ島全図(ハワイ州観光局提供)

【カウアイ島の南側を西へ、カウムアリイ ハイウエイ】

島の北東部、カウアイ郡庁所在地のリフエ (Līhuʻe) から西へ。島の最西端、海軍基地のバーキング サンズ空港(Barking Sands Airport)まで続く幹線道路は、カウムアリイ ハイウエイと名付けられていますが、ハイウエイと云っても、リフエ近郊を離れると片側1車線の一般道路です。

カウムアリイ (Kaumualiʻi) は、カウアイ島最後のアリイ (aliʻi) の名です。
1792年に英国のバンクーバー船長がワイメアに寄港した際の航海日誌に、まだ12歳頃の若きカウムアリイの闊達な様子が記されています。
1795年にカメハメハがハワイ島からオアフ島までを手中に収めて王国を創り上げた後、カウアイ攻略を試みますが、悪天候と疫病の蔓延で2回とも失敗。1810年になり、カウムアリイは戦いを挑まずしてカウアイとニイハウの2島をカメハメハ大王に明け渡し、大王は和平を受け入れ、2島の統治を引き続きカウムアリイに任せました。

カウムアリイ ハイウエイから、島の南端ポイプ (Poʻipū) ビーチを目指して大木のトンネルのようなマルヒア ロード (Maluhia Rd.) を南下すると、小さな町コロア (Kōloa) に着きます。
1835年、米国人によりハワイ初の砂糖農園が造られたのがこの地域で、町には砂糖工場の跡や、砂糖産業の歴史を伝える小さな資料館、そして浄土宗のお寺も在り、この地域でも日本からの移民が砂糖農園で働いていたことが分かります。

コロアの町の表示

この町からコロア ロードを西へ向かうとカウムアリイ ハイウエイに合流し、ハナペペ (Hanapēpē) から、ワイメア キャニオンへの上り口、ワイメア (Waimea) の町 へと続きます。

ワイメアは、英国海軍のクック船長が1778年にハワイ諸島を発見し、初めて上陸した地点。英国、北ヨークシャーのホイットビー (Whitby) に立つクック像の複製が、ワイメアの道沿いに建てられています。

ワイメアの町に立つクック船長像

ハイウエイは更に西に進み、海の向うにニイハウ (Niʻihau) 島を見ながら、島の西端まで続きます。

南西の洋上に遥かニイハウ島を望む


【カウアイ島の東側から北へ、クヒオ ハイウエイ】

リフエから島の東側を廻り、北西部のトレッキングコースが始まる小さな砂浜まで続く道には、クヒオ ハイウエイの名が付けられています。ハワイ王家の1人、クヒオ王子 (Jonah Kūhiō Kalanianaʻole) は前述のコロアの海辺の生まれ。ハワイが米国のテリトリー(準州)になってからは、ハワイ選出の共和党連邦下院議員になり、ワシントンD.C. からハワイを見守りました。

リフエからクヒオ ハイウエイを暫く行くとワイルア (Wailua) 川の河口を渡ります。ハワイ語で2を表す lua のとおり、二手に分かれる川の一方の上流にシダの洞窟がありますが、川に沿って河口から数キロ上流の丘の上に向かって、太陽の上る方向から直線状にヘイアウ(heiau=祭祀場)の石組が幾つか残されています。ワイルア川河口に在るヘイアウの名は「ヒキナアカラ」(Hikina a ka lā) 。正に「日の出ずる東の方向」を意味し、太陽や星の動きに詳しいカフナ (kahuna=アリイと平民 “makaʻāinana” の間に位する上級の知識層) が、東の水平線に上る太陽 (lā) の方角を見て季節の変わり目を判断したヘイアウとされ、14世紀に建てられたものだと伝えられています。

ワイルア川の河口に残るヒキナアカラ ヘイアウの石組

クヒオ ハイウエイが島の北東側に回り込むと貿易風 (Moaʻe) の風上に入り、カウアイの緑が一層濃くなります。ハイウエイから北へ折れて、キラウエア ロード ( Kīlauea Rd.) を進んだ突当りが、野鳥も多く見られるキラウエア灯台。ハワイ8島の最北端で北緯22度13分。沖縄県波照間島が北緯24度ですので、その緯度は2度ほどしか違いません。

ハワイ8島の最北端、キラウエア灯台

そして、タロイモの水田 (loʻi kalo) が広がるハワイの原風景が楽しめるハナレイ (Hanalei) 周辺を過ぎて更に西に進むと、ハイウエイとは言い難い、曲がりくねった狭い道と、車の行き違いが出来ない1車線の橋が幾つも続き、島の北西部、ナパリ (Nā pali) コーストに通じるトレイルに続く小さな砂浜でクヒオ ハイウエイは終わります。

ハナレイ近郊に広がるタロイモ水田

ところで、ハイウエイの名が変わるカウアイ郡庁舎前から、リフエ空港近くを通り、ナウィリウィリ (Nāwiliwili、ウィリウィリは砂地や乾いた土地に生える木) 港に向けて南に延びる道はライス ストリートと名付けられていますが、ライスはカウアイの名家の1つ。1841年に宣教師として来島し、マウイ島ハナやホノルルのプナホウ校で教鞭を執り、後にカウアイに移り住んだウイリアム ハリソン ライス (William Harrison Rice) の家族で、妻は慈善事業に献身し、子息はカウアイの知事を務めています。

ライス通り沿いに建つカウアイ博物館

この章のポイント

  • カウアイ島の湿潤な緑豊かな風景の中にも、この島ならではの文化と歴史が残されています

付帯的な情報・発展情報

ワイルアのヘイアウに関連して、ハワイ語で方角を表す東は hikina、西 komohana、南 hema、北 ʻākau と云いますが、同時にhemaは左、ʻākauは右を意味します。自分が太陽 (lā) や月 (mahina) 、星 (hōkū) になったつもりで東から西へ歩けば、その通りになりますネ。

ライス ストリートの郡庁舎近くにカウアイ博物館があります。小規模ながらカウアイ島の文化と歴史に触れることが出来るこの館の創始者の1人はウイリアム ライスの曾孫です。

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  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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