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所用時間5min
2020.09.25

聖アンドリュース大聖堂

ここがポイント

カメハメハ4世夫妻の熱心な招聘で建立された英国国教会。
ハワイ王国崩壊後、リリウオカラニ女王も通った。

聖アンドリュース大聖堂


カメハメハ
4世夫妻ゆかりの教会


ハワイ初の英国国教会、聖アンドリュース大聖堂がホノルルのダウンタウンで創立されたのは、ハワイ王国時代の1861年。すでにハワイではプロテスタント系(1820年代)、カソリック系(1840年代)の教会が設立されていましたが、英国国教会はカメハメハ4世&エマ王妃じきじきの招聘を受け、ハワイに参入したという経緯があります。

教会の建つ土地は元々、カメハメハ4世の所有地であり、エマ王妃は聖堂建設のための資金集めにも尽力。4世夫妻と大変、縁の深い教会であるのに加え、ハワイ王国崩壊後はリリウオカラニ女王が洗礼を受け、熱心に通った教会でもあります。

教会の前には聖アンドリューの像が立つ


同教会といえば天井まであるステンドグラスで有名ですが、そんな歴史的背景から、ステンドグラスには4世夫妻、さらにはサンフォード・ドール(ハワイ王国転覆の中心人物でハワイ共和国初代大統領)の姿も。教会のディープな歴史を如実に物語っています。ドールについては後述します。




左端がカメハメハ4世&エマ王妃。黒服を着た長い顎ひげの人物がサンフォード・ドール

 

初礼拝はアルバート王子の葬式


英国国教会の招聘に熱心だった4世夫妻のうち、一番の原動力となったのは、カメハメハ4世というよりエマ王妃でした。エマ王妃はカメハメハ大王の参謀だったイギリス人、ジョン・ヤングを祖父に持ち、当時の風習に従って出生後、イギリス人医師のトーマス・ルーク夫妻(夫人は母方の叔母であるグレース)の養女になったという女性です。

つまりイギリス人の血を引くだけでなく、イギリス人の養父の影響でイギリス流に育てられたエマ王妃。その結果、(アメリカではなく)イギリス寄りの気風の持ち主として知られています。4世夫妻は1856年に結婚しましたが、その際もハワイにはまだ英国国教会の牧師がいなかったため、プロテスタント系のカワイアハオ教会で英国国教会の流儀にのっとって挙式しています。


エマ王妃(Photo Courtesy of Hawaii State Archives)


4世夫妻の熱心な要請により、英国国教会からトーマス・ステイリー牧師がハワイに着任したのは1861年。カメハメハ4世は英国国教会の祈祷書をハワイ語に訳し、自身の所有地を教会に下賜するなどして、教会の創立に全面的に協力しました。こうして翌年、仮設された木造の礼拝堂で初めてステイリー牧師が司った礼拝は、奇しくも4歳で病死した4世夫妻の愛児、アルバート王子の葬式でした。
 

カメハメハ4世の命日にちなんだ教会名


現在の壮麗な大聖堂が完成したのは、1886年。カメハメハ4世は1863年に死去しており、未亡人となったエマ王妃は資金集めのため1人でイギリスへ。必要な建築材も手配するなど、大聖堂建築のために奔走しました。

エマ王妃は教会に隣接して女子校(聖アンドリューススクール)も創設するなど、教会にさまざまな貢献をしましたが、1885年、残念ながら大聖堂の完成を見届けることなく亡くなっています。

ちなみに教会は当初、ハワイアン・リフォーム・カソリック教会と呼ばれていましたが、1870年に英国国教会と名称変更。さらに1863年、カメハメハ4世が聖アンドリューの記念日(1130日)に亡くなったため聖アンドリュース大聖堂と再度命名され、現在に至っています。聖アンドリュース大聖堂は、多くの意味で、4世夫妻の想いがたっぷりこもった教会だといえるでしょう。

カメハメハ4世夫妻を記念したコーナー


リリウオカラニ女王と教会の関係


この教会はまた、リリウオカラニ女王ゆかりの教会の1つでもあります。子供時代から、やはりホノルル・ダウンタウンにあるプロテスタント系のカワイアハオ教会に通っていたリリウオカラニ女王。ですがハワイ王国崩壊後から3年後の1896年、聖アンドリュース大聖堂で洗礼を受け、信徒になりました。

この経緯には、悲しい背景があります。王国崩壊から2年後、リリウオカラニ女王はクーデター計画に関わったというあらぬ嫌疑をかけられ、有罪判決を受けてイオラニ宮殿で幽閉生活を送ることになりました。8か月後に釈放されたリリウオカラニ女王は、辛い時期に自分のことを気にかけ、釈放後はしばしば訪ねて来てくれた聖アンドリュース大聖堂の牧師に深く感謝し、正式に信徒になったということです。



一方、子供時代から深く関わっていたカワイアハオ教会との決別については、辛口の心情をその自叙伝の中で吐露しています。要約すると、「子供の頃から定期的に通い…常に宣教師グループに貢献し…私の時間と音楽の能力を惜しげなく礼拝に捧げ協力してきたのに…教会の聖職者も信徒も、誰も幽閉中の自分を気にかけてくれなかった」(注:リリウオカラニ女王は以前、カワイアハオ教会聖歌隊のオルガニストや指揮者を務めていました)。

なお皮肉な偶然ですが、王国転覆のクーデターの中心人物でハワイ共和国の初代大統領だったサンフォード・ドールも、聖アンドリュース教会の信徒だったとか。そのため、サンフォード・ドールがステンドグラスにデザインされているわけです。

聖アンドリュース大聖堂は、イオラニ宮殿から歩いて約5分。すぐ東隣には、リリウオカラニ女王の終いの棲家であるワシントンプレイスがあります。ダウンタウンの歴史散歩の際には、ぜひ訪れてみてください。
 
補足事項

聖アンドリュース大聖堂のホームページ
https://www.thecathedralofstandrew.org/

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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