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2020.12.18

ハワイのクリスマス

ここがポイント

独自の宗教・文化を持っていたハワイで、キリスト教のお祝いの日であるクリスマスが、どのように浸透していったのか、王族と宣教師の関係や、ハワイでのクリスマスの様子などを詳しく学びます。


クリスマスはイエス・キリストの降誕祭という位置づけのため、本来はキリスト教徒によって祝われる日ですが、現代では、12月を彩る行事の一つとして、キリスト教徒以外の人々にも広く親しまれています。ハワイでも、早い所では11月から街がツリーなどで飾られ始めたり、各地でパレードが行われるなど、大きなイベントの一つとなっていますが、ハワイにクリスマスはどのようにもたらされたのか、どのように人々は祝っているのか、王族と宣教師達の関係など、詳しく見てみましょう。


ハワイで最初に祝われたクリスマス

外国人がハワイに到達する前のハワイでは、クリスマスの日を含めて、10月頃から2月頃の約4か月間、マカヒキと呼ばれるお祭りの期間があり、人々はゲームやスポーツ、祝宴などで、クリスマスとは違った形で冬の日々を楽しんでいました。

クリスマスの概念を持たない古代ハワイアンですので、ハワイでクリスマスを祝うということは、やはり船で訪れた外国人の間から始まっています。1778年と1779年に、クック船長がハワイを「発見」した後、イギリスやアメリカから、太平洋沿岸調査や貿易などを目的とした船がハワイにやって来ます。

ハワイで最初にクリスマスが祝われたのは、1786年、太平洋沿岸調査の途中でハワイ(カウアイ島)へとやって来たジョージ・ディクソン船長率いる一行によってだとされています。ディクソン船長は、クック船長の元で、船に設置された大砲などの武器を管理していた人物で、1778年にクック船長と既にハワイを訪れています。

カウアイ島のワイメア湾に船を停泊させていましたが、クリスマスの日当日、カウアイ島の住民から豚を仕入れてローストし、船上でパイを焼いて、船員がクリスマスを祝いました。「ハワイで最初に祝われた」とはいえ、ハワイの住民がクリスマスを祝ったのではなく、「ハワイの地で、外国人がクリスマスを祝った」というのが、正しい解釈になります。



キリスト教宣教師がハワイへ

古代ハワイアンは独自の宗教を持ち、数多くのカプ(禁止事項)を破らないよう生活を律しながら暮らしていました。しかし、その生活を守り抜いたカメハメハ大王の死去により、人々の生活が一変していきます。1819年5月、息子であるリホリホ王子が跡を継ぎ、カメハメハ2世となりますが、現代の首相にあたるクヒナ・ヌイとして2世を支えたカアフマヌ女王(カメハメハ大王の妃の一人)と、2世の母であるケオプオラニ(Keōpūolani)女王の後押しにより、古代ハワイから何世紀にも渡って続いていたカプシステムが崩壊し、ヘイアウ(神殿)は壊され、ハワイの人々の間に、宗教の空白が生まれました。


ちょうどその時、アメリカのニューイングランド(現在のマサチューセッツ州を含むアメリカ北東部)から、キリスト教宣教師達が布教を目的に船に乗ってハワイを目指し、およそ5か月間、164日かかってハワイ島カイルア-コナに到着しました。1820年4月4日のことでした。その後、1863年までの間に、180人の男女の宣教師がハワイに上陸しています。


王族とキリスト教宣教師達


宣教師たちはハワイに到着するとすぐに、文字を持たなかったハワイ語にアルファベットを当てはめ、読み書きに対応できるようにしました。そして、ハワイ各地に学校を作り、宣教師の子供達と共に、ハワイの人々に読み書きを教えていきました。カメハメハ2世も、宣教師から学ぶことに熱心で、自ら宣教師の元に通うこともしています。


(カメハメハ2世)

また、カアフマヌ女王自身、洗礼を受けてキリスト教徒になっており、王族の子供達への教育も、宣教師が担当するようになりました。このように、古代から続いていた社会規範が崩壊したハワイで、キリスト教宣教師達は王族によって受け入れられた上に、教育を司り、政治的なアドバイスを行う立場になるなど、王国に大きな影響力を持つことになります。


(カアフマヌ女王)

しかし、クリスマスを祝うという習慣自体は、1820年代から30年代のハワイでは、まだ社会的には行われておらず、クリスマス当日も、宗派によってミサが行われることもありましたが、宣教師たちが家庭で夕食を取りながら、静かに祝う形が取られていたようでした。

1840年代に入り、新聞にて「メリークリスマス(ハワイ語ではメレ・カリキマカ)」という言葉が登場し、50年代に入るとさらに、クリスマスという日がハワイアンの間でも浸透するようになります。

1849年9月から1850年9月にかけて、兄であるロト王子(後のカメハメハ5世)と、カメハメハ3世の元でハワイの政治を支えたゲリット・P・ジャッド氏と共に、15歳にてアメリカとイギリス、フランスを旅したアレクサンダー・リホリホ王子(後のカメハメハ4世)は、旅の途中で、クリスマスがどのように祝われているのかを実際に目にしたことでしょう。


(アメリカ、イギリス、フランスを訪れた時の(左から)ジャッド氏、リホリホ王子、ロット王子)


1855年に、リホリホ王子はカメハメハ4世となって間もなく、翌年の1856年12月25日をハワイの「感謝祭の日」としました。1858年にはハワイ王国初となるクリスマスツリーが、ワシントン・プレイスに飾られました。その後、1862年に、カメハメハ4世によって、クリスマスの日はハワイ王国の祝日と制定されました。


マリヒニ・クリスマスツリー


(マリヒニ・クリスマスツリーのイベントの様子。)

クリスマスがハワイ王国の祝日とされ、人々の間でも、クリスマスツリーを飾り、プレゼントを用意し、クリスマス当日の教会のミサに参加することなどが浸透していく中、1800年代中頃以降は、サトウキビ産業が勢いをつけていきます。

すると、プランテーションで、労働者として働くためにハワイに移住する人々が増える一方、サトウキビ産業を担う会社の経営陣などとの経済格差が大きくなっていました。好きな物を何でも買ってもらえる子供達と、貧しい暮らしを余儀なくされた子供達。プレゼントが行き交うクリスマスは、貧富の差が浮き彫りになる日でもありました。


1907年、凍えるシカゴを離れ、暖かいハワイでクリスマスの時期を過ごしていた裕福な観光客が、自宅を離れ、自分の親戚などにクリスマスプレゼントを渡すことができないのなら、ハワイの貧しい子供達にプレゼントを用意して配ろうと思い立ちます。ツリーを自ら買い、そこにプレゼントをいくつも吊るして、できるだけ多くの貧しい子供たちのためにと、自らそのイベントの開催を知らせ、ホノルル・ダウンタウンにあったビショップ・パークでプレゼントを配りました。

次の年になると、この取り組みを続けていくために、ホテルで募金活動が始まりました。その翌年は開催が危ぶまれましたが、新聞が記事として取り上げたことをきっかけに、手伝いたいと名乗り出る人々が出てきて、ハワイの経済を牽引していた人々が、献金を申し出ました。

実行委員会が結成され、その委員には、ドール夫人(初代ハワイ準州知事サンフォード・B・ドール氏の妻)やルワーズ夫人(ワイキキのルワーズ通りの名ともなっているビジネスマン、ロバート・ルワーズ氏の妻)など、ハワイの政治・経済を牽引していた人々の夫人達が名を連ねました。その人脈も手伝って、様々な団体が支援するイベントとなっていきます。


宗教も、人種も、肌の色も、民族的なルーツも全く問われず、全ての恵まれない子供達に対して、プレゼントやお菓子、果物が用意されました。日本人コミュニティー、中国人コミュニティーなども、それぞれ協力して資金を提供したり、準備の手伝いを行うなど、助けの輪は広がっていきました。


(子供達に配るおもちゃや食べ物を用意する人々)

当初、ホノルル・ダウンタウンにあったビショップ・パークにて行われたこのイベントは、場所をイオラニ宮殿に移し、より多くの子供達に対応できるようにし、宮殿前に大きなクリスマスツリーも飾られました。


(イオラニ宮殿前に設置されたクリスマスツリー)

1911年には、大雨が降ったにもかかわらず、2,300人もの子供達が集まりました。これほどの人数が集まっても、子供達はきちんと整列し、全ての子供達がプレゼントを受け取れるように、隅々まで準備が整えられていました。また、入院中であったり、感染症で隔離されている子供達、親を亡くした子供達などにも、プレゼントが病院、施設、家に送られ、プレゼントをもらえずに悲しい思いをする子供が一人もいないようにと、大勢の人々が参加し、イベントを支えました。会場には、サンタクロースも現れ、フローラル・パレードも行われました。


(フローラル・パレードの様子)

ある観光客のアイデアから始まったことから、「マリヒニ・クリスマスツリー」(マリヒニは外国人、観光客、新参者の意味)と名付けられたイベントは、ホノルル市にとって歴史に残る大イベントとして、1900年代初頭を飾りました。


クリスマスの時期の街の様子



(クリスマスが近づくと、市バスもクリスマス仕様に)

ハワイは王国からアメリカの準州となったことで、アメリカ独立記念日や、サンクスギビングデーなど、アメリカのお祝い事もハワイで祝われるようになります。特に年末が近づくと、10月31日のハロウィン、11月第3木曜日のサンクスギビングデー、12月25日のクリスマス、12月31日から1月1日にかけて新年へのカウントダウンと、人々が集う機会が続きます。

それぞれの日に合わせて、街の中は、カボチャやお化け、ターキー、リースやクリスマスツリーと、次々とデコレーションを変えては、人々をワクワクした気分にさせてくれます。近年は、ハロウィンの直後からクリスマスの飾りつけを始めるようになり、より華やかに街が飾られる期間が伸びています。


サンクスギビングデーとクリスマスは、家族で過ごすのが基本で、アメリカ本土の大学に通う子供達や、ハワイ州外で働いている家族などもハワイの実家に戻ってくるなど、日本のお正月に家族が帰省し集まることと通じます。


(ハワイらしく、海をテーマにした飾りつけがされたホテルのツリー)

ワイキキのホテルなどでも、11月に入ると、それぞれ独自のカラーでツリーを飾りつけたり、サンドアートで暖かいハワイのクリスマスを表現するなど、街を散策するだけでも楽しい時期になります。


(メネフネがサンタを手伝っている様子がハワイらしい)

特にホノルルのダウンタウンでは、1か月間に渡り、クリスマスに関連したディスプレイを大規模に行っています。


ホノルル・シティライツ



(ホノルル・シティライツのエレクトリック・パレードの様子)

クリスマスの時期が近づくと、およそ15mのツリーがホノルル市庁舎(ホノルル・ハレ)の前に設置され、毎年12月の第一土曜日にツリーの点灯式が行われます。この日から1か月間、ホノルル市庁舎近辺には、クリスマスに関する巨大なディスプレイが飾られ、木々も電飾でライトアップされます。


(ホノルル・シティライツの点灯式で使われるツリー)

このイベントは、1985年、当時のフランク・F・ファッシ市長によって始められたもので、現在と同じく高さ15m程のツリーを電飾で飾り、点灯式を行いました。翌年からは、ダウンタウンにある様々な会社が協力してビルを飾り、1か月間にわたるクリスマスイベントとして、1987年から、「ホノルル・シティライツ」が始まりました。



(シャカサンタとアンティ・メレ)

1989年に、高さ6.4m、重さ2トンもある「シャカサンタ」がホノルル市庁舎前に登場。暑いのでブーツも脱いでしまったサンタクロースが、シャカサインを掲げて人々に挨拶する姿は、南国でのクリスマスの様子を的確に表現しています。翌1990年には、市の職員による「エレクトリック・パレード」が加わり、消防車や救急車までもが電飾で飾られ、通りをパレードしました。


(ホノルル市庁舎の中の様子)

ホノルル市庁舎の中には、職員がそれぞれの部署ごとにツリーを作成したものが飾られ、点灯式当日は、子供達が遊べる移動式遊園地や、地元の有名なアーティストによる演奏、食べ物や、電気で光るおもちゃを売る屋台などが数多く出て、クリスマスシーズンの訪れを感じさせます。



(移動式遊園地で楽しむ人々)

このイベントは、2019年で第35回を数え、多くの市民が楽しみにしているだけでなく、暖かいハワイでのクリスマスを体験できる場として、多くの観光客をも惹きつけるイベントとなっています。毎年違ったテーマが設定されている、ホノルル市庁舎前のクリスマスツリーにも注目が集まります。



(クリスマスの時期のホノルル市庁舎前の夜間の様子)


アメリカやヨーロッパの伝統的なクリスマスとはひと味違う、南国ハワイのクリスマス。気温でクリスマスの時期を感じられない代わりに、視覚を最大限使って、クリスマスであることを感じさせています。ハワイでは、自分は無宗教であるとする人の割合は人口の30%を超え、アメリカ国内でも、その割合は高い方ですが、クリスマスを宗教行事の一つとして大切にしている家庭に並び、家族で楽しむイベントの一部ととらえる家庭も多く、年末を彩るディスプレイやイベントは、これからも多くの人々を楽しませてくれることでしょう。

 
  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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