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所用時間5min
2020.10.13

ハーブ・カワイヌイ・カネ

ここがポイント

ハワイで有名な歴史画家をよく知り、絵画を探してみましょう。

ハーバート・カワイヌイ・カネ氏(以後ハーブ・カネ)は描く絵を通して、ハワイの歴史や文化を世の中に伝えた歴史画家、郷土研究家、作家、建築家として現代人に影響を与え続けています。1970年代のハワイアン・ルネッサンスの代表的な人物とも言えます。カネ氏は生涯約400以上の油絵、その他何百もの水彩画、子供の絵本、本などにも描いたといいます。

by John Dawsonby

カネ氏の父方は中国系アメリカ人、母方はデンマーク系アメリカ人のもと、両親の仕事の場所であった1928年ミネソタ州で生まれました。祖父はハワイで農家をし、ポイを作る工場などを営んでいました。カネ氏は小さい頃より、ハワイとウィスコンシンとの間で成長しました。

7歳の時、ハワイ島のヒロで、ハワード・ヒッチコック氏(ハワイ出身で国際的に有名になった初めての画家)の絵画展に連れて行かれ、その時の絵に感銘を受けたことが、その後のカネ氏に大きな影響を与えたと言っています。ヒッチコック氏の絵はキラウエア火山のものが多く、小さいカネ氏に大きくインパクトを与えました。また、子供の頃、ハワイで見た風景や文化、祖父や父からのハワイ島々の伝説などがその後に大きな影響を与えました。

成人し、アメリカ海軍に入隊しました。その後軍人援護法により、シカゴ美術館付属美術大学に行き、最終的にはシカゴ大学より修士号を習得。その後はシカゴにて、広告代理店を経営しました。カネ氏の才能は発揮されましたが、自分では不満足でした。
その頃よりミシガン湖にて、カタマランを購入しレースなどに参加。それがきっかけとなり、ハワイのカヌーに関してのリサーチを開始。1960年代にはポリネシア航海カヌーの絵を14枚描き、それがのち、ビショップ博物館のケネス・エモリー博士の口添えもあり、ハワイ州文化芸術財団に購入してもらえたことをきっかけにホノルルに移住することを決意しました。そこでポリネシア航海カヌーの研究を続けることになります。
その後の功績により2008年には同行より名誉博士号を習得しています。

カネ氏は他の数人とポリネシア航海協会を設立。そしてタヒチとホノルルを航海できるホクレア号と名付けデザイン制作し、1975近代的航法器具を一切用いないまま、星を手がかり航海を実際に成功させました。これにより太平洋の島々とハワイ間、他の国への航海が実施され、ポリネシアの航海方法を広く世界に広げました。ホクレア号により、太平洋の国々の人達のプライドを復活させ、その人達の失われていたアイデンディティを取り戻すことになりました。カネ氏の大きな功績の一つとなりました。


Hokulea II by Herb Kane (from Vayagers)

1974年にはビショップ博物館のケネス・エモリー博士のもと、ポリネシア、カヌー航海などに関しての記事の中で、アメリカのナショナル・ジオグラフィック・マガジンにカネ氏の絵が発表されるとアメリカ国内にその名を広めることになりました。

カネ氏の大きな功績の中の一つは、ハワイの歴史を描いた絵にあります。それぞれがシリーズ化しているポリネシアからハワイへの航海カヌー、ハワイ諸島それぞれのチーフ、ハワイ王国時代のカメハメハ王の戦争画、イギリスからのキャプテンクックが初めて来島した時の絵など、写真には残っていない、それまでにはないカネ氏独自の作風を描き、後世に大きな影響を与えました。
いくつもの壁画は7.3mx3mなどの大きさのものもあり、今でも描いた当初の場所に置かれています。


Kamehameha at Kamakahomu by Herb Kane at Courtyard King Kamehameha Kona Beach Hotel

他の功績の一つは、小さい時に両親から聞いていたハワイの伝説や神話なども影響し、絵本や本に描いた想像の中の人物像などです。有名なものはハワイ島キラウエア火山に住んでいる火の女神ペレ、マウナケア山に住んでいる雪の女神ポリアフなど、超自然的な想像を超える絵が現代の人々の心を動かしています。
カネ氏の作風は大胆な筆使いとカラフルな色が特徴です。そこから生まれるダイナミックな絵は、一度見たら忘れられない印象を与えます。
カネ氏は晩年、ハワイ島に移住し絵画制作やそのためのリサーチに専念しました。


"Pele" by Herb Kane 

これらの絵はハワイ島キラウエア火山のボルケーノ国立公園、ジャガー博物館、プウコホラ・ヘイアウ国立歴史公園などで見ることができます。

カネ氏の絵はただの想像画だけではなく、長い時間かけたリサーチによるものが多くあります。その実際のアーカイブからの絵だからこそ、歴史画家として現代にその功績を残しています。

また、古代ポリネシア人やハワイ人がどのような生活を送っていたかを描いたものも多くあります。ただストーリーだけではなく、ビジュアルで現代人に語りかけているのが大きなインパクトを与えています。

カネ氏は生前には、1984年にはハワイにて生きた国宝、1987年にはハワイでの16名のポオケラに選ばれるなど、数々の名誉ある賞を受賞しています。
また、アメリカ郵便局から発行されたカネ氏デザインの切手もありました。


20083月に82歳にハワイ島のコナで永眠されました。

カネ氏の絵画を見ない場所は少ないと言われていますが、
ハワイ島ではフォーシーズンズ・リゾート・フアラライのカウプレフ・カルチャーセンター、コートヤード・キング・カメハメハ・コナビーチホテル、オアフ島ビショップ博物館、ハワイ州庁舎、ロイヤルハワイアンホテル、アウトリガーホテルワイキキなど、あちらこちらでカネ氏の絵を見ることができます。カネ氏が手掛けたオブジェはあまりありませんが、ホクレア号が動くオブジェ、そしてワイレアにあるヤング・カメハメハ大王像などがオブジェとして存在します。


Kamehameha Landing by Herb Kane at Royal Hawaiian Hotel
 
補足事項

"Voyagers"   by Herb Kawainui Kane   The Kawainui Press
"Ancient Hawaii" by Herb Kawainui Kane  The Kawainui Press
"Pele"   by Herb Kawainui Kane     The Kawainui Press

  • 藤原 小百合 アン
    Anne Sayuri Fujiwara
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。

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