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2020.01.07

カワイヌイとウルポヘイアウ(ポリネシア人のオアフ島来島)

ここがポイント

オアフ島に辿り着いたポリネシア人は、ヌウアヌ パリから見渡せる島の東北部、水の豊富な島の風上側の土地 ( wind word = koʻolau ) に定着し、その後次第に島全体の海沿いや平地へと居住地を広げていったと考えられています。
その基になった地域の一つがカワイヌイ湿地帯とカイルアの地でした。

カワイヌイとウルポ ヘイアウ

Ulupō heiau on Kawai Nui marsh

ヌウアヌ パリの眼下に広がる湿地帯カワイヌイにオアフの歴史を探る

北東からの貿易風が吹き抜ける景勝地、オアフ島のヌウアヌ パリ ( Nuʻuanu pali ) 。
屏風のように続く崖の下にはカイルア ( Kailua ) からカネオヘ ( Kāneʻohe ) にかけての緑が鳥瞰図のように広がって見えます。

そして、カイルアの家々が立ち並ぶ手前に見える平坦な広い緑地がカワイヌイと呼ばれる沼地。

その名のとおり広大な湿地帯です。
 

ウルポ ヘイアウ近くから見たカワイヌイ湿地帯
 

案内板によると、カワイヌイは今から6千年くらい前まではカイルアから内陸に深く入り込んだ湾の一部でした。

その後徐々に海と隔てられ、約1千年前には湖沼化して潟へと変化。
そして、今から2百年前には、カイルア湾の海水と山から流れ出る淡水が混じり合う沼地を利用して大きなロコイア ( loko iʻa = 養魚池 ) が造られていました。
 

200年前のカワイヌイ養魚池の様子をしめす案内板。
点線が現在のカイルアの海岸線。
 

南半球から北上してきたポリネシア人は貿易風を巧みに利用してハワイの島々の北東側に辿り着き

定住したと考えられています。

オアフで云えば、カイルアからカネオヘ、クアロアのあたりです。
カワイヌイを中心に広がるカイルアはその中でも肥沃で恵まれた地域の一つでした。
海上で多量の水分を含んだ貿易風 ( Moaʻe ) がコオラウ山脈にぶつかり雨を降らせ、山から清らかな水が流れ込むカワイヌイの湿地帯の周囲に広がる肥沃な土地ではタロイモ ( kalo ) ばかりでなくバナナ ( maiʻa ) やスイートポテト (ʻuala ) 、砂糖キビ ( kō ) などの作物が豊富に収穫出来養魚池では魚 ( iʻa ) を育て、カヌー ( waʻa ) が出入りし易いカイルア湾からは珊瑚礁の外海 ( moana ) に漁に出て、この地域は食料確保には適した場所でした。
 

タロ芋(カロ)の水田。
カロには水田ばかりでなく畑で栽培するものもあり、カワイヌイ周辺では両方が収穫されていた。


カイルアは、コオラウ ( Koʻolau ) 山脈の北東側、カネオヘからオアフの最東端マカプウ ( Makapuʻu ) を回り込み、ココヘッドのあたりまでの「コオラウポコ」 ( Koʻolaupoko ) と呼ばれる地域 ( moku ) の中心地として多くの人達が生活し、支配階級のアリイ ( aliʻi ) にとってもオアフを治める本拠地にするのに恰好の場所であったと考えられます。


オアフのことを、この島全体を支配していた卓越した首長=アリイ ヌイ ( aliʻi nui ) の名を取って「カクヒヘヴァ」( Kākuhihewa ) とも呼びますが、カクヒヘヴァも又カイルアに住んでいたと伝えられています。
 

マカプウの灯台付近からカイルア方面を望む。
オアフ島のモクの一つ「コオラウポコ」の地域の一部です。


カワイヌイの湿地の周囲には幾つかのヘイアウ(祭祀場)が造られ、その内で沼地の東側の縁に位置するのがウルポ ヘイアウ。
この祭祀場は縦55m、幅42m、高さは9mほどの石組で造られています。
 

湿地帯側から見たウルポ ヘイアウ
 

造られた当初からカクヒヘヴァの頃も含め、元々このヘイアウは作物の豊作を願うためのもので且つ首長の力を示す象徴でもありましたが、後にクアリイ ( Kualiʻi ) と云う首長により戦闘の準備のために生贄を捧げる場所にその用途が変えられたと伝えられています。

 
18世紀半ばになるとオアフの勢力は弱まりマウイから度々攻撃を受けるようになり、1780年代にはマウイの強者「カへキリ」の支配下に下ります。そして、1795年にオアフはカメハメハの手中に収まります。

ウルポ ヘイアウ


オアフ島の支配体制が変わる中で存在し続けたウルポ ヘイアウは、その後、第2次世界大戦の後ハワイ準州の公園となり、現在はハワイ州の史跡として石組が保存されています。
 

州の史跡、ウルポ ヘイアウの表示


その傍にはタロイモの水田ロイ カロ ( loʻi kalo ) が在り、畦にはマイア=バナナがたわわに実り周囲には有用な木々も見られ、作物が豊富に収穫出来ていた当時の姿を今も垣間見ることが出来ます。

ウルポ ヘイアウ周辺の風景



欧米人来島前のオアフは、ハワイ語でモクと呼ばれる6つの地域に分かれており、その1つが「コオラウポコ」でした。
モクは更にアフプアアと呼ばれる共同生活地域に区分されて管理されていました。

欧米人来島前のオアフ島の6つの地域「モク」

補足事項

ウルポ ヘイアウは、カイルアに向かう交通量の多い幹線道路カイルア ロードの西側
ウインドワードYMCAの裏手に位置します。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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