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2020.05.12

メリーモナークフェスティバル

ここがポイント

ハワイ初のフラ競技会にして最大の文化イベント。元はハワイ島ヒロの町興しとして始まり、フラ人気の火付け役となった。今、数あるフラ競技会の多くは、メリーモナークの規約や審査項目などを踏襲している。

メリーモナークフェスティバル


フラ界のオリンピック


ハワイ文化の愛好家、特にフラダンサーなら、ハワイ島ヒロで開催されるフラ界最大の祭典、メリーモナークフェスティバル(以下、メリーモナーク)の素晴らしさをご存知でしょう。選び抜かれたハラウ・フラ(フラスクール)が、復活祭直後の4月(年により3月)、ヒロの町に集結。3夜にわたりを競い合うこの競技会はフラ界のオリンピックとも称され、息を呑むような見事なフラが次々踊られます。

メリーモナークはハワイでTV中継されるほか、インターネットを通じて全世界に放映され、最高のフラをハワイの誇りとともに発信する重要なイベント。出場については希望制ではなく招聘制で、出場を希望するハラウの長いリストが存在。リストに載ったまま何年も待ち続けるハラウも多いといいます。

〔Photo Courtesy of Island of Hawaii Visitors Bureau(IHVB)/Lehua Waipa AhNee 〕


そういった意味で、メリーモナークはハワイのフラダンサーにとっても憧れの舞台。メリーモナークで踊られるフラ、なかでも賞を獲得するフラは、ハワイのフラ界が世界に向けて発信する「これが正統なフラだ、本物のフラだ」というメッセージでもあります。メリーモナークがフラ競技会の最高峰といわれる由縁でしょう。
 

ハワイ島ヒロの町興しとして始まる


メリーモナークが始まったのは1964年。1960年のヒロ津波被害や、砂糖きび農業の衰退に喘いでいたハワイ島の島興しイベントとして創設されました。当初はフラ競技会ではなくカラカウア王の髭そっくりさんコンテストやリレー走、カラカウア王の戴冠式舞踏会を模した夜会など、お祭り的で素朴なイベントとして始まりましたが、残念ながら意図した経済効果は得られませんでした。


〔会場にはカラカウア王、カピオラニ王妃の大きな肖像画が掲げられる〕

現在のようなフラ競技会がスタートしたのは、1971年。ハワイ島郡公園・娯楽課の文化ディレクターだったドロシー・トンプソンさんが、ヒロ出身のフラの大家、ジョージ・ナオペ氏、同じくイオラニ・ルアヒネやロカリア・モンゴメリーなど名だたるクムフラ(フラの師)たちの助言を得て、ハワイ伝統の芸術であるフラを中心に捉える文化イベントとして再スタートしたのです。

中でも画期的だったのが、史上初めて、競技会という形式でフラに焦点を当てたことでしょう。フラの技量や美しさを競う機会は、実はそれまでつい皆無でした。当初は女性群舞と女性ソロ部門(ミス・フラ部門。現在のミス・アロハ・フラ)だけが競われ、初年度は9ハラウが出場。小さなイベントとして始まりましたが、1976年に男性群舞部門が加えられると、メリーモナークへの注目度が飛躍的に増加しました。まだ珍しかった男性のフラ、それも最高のフラが観られる場として、メリーモナークの人気が急速に高まったのです。


〔Photo Courtesy of Island of Hawaii Visitors Bureau(IHVB)/Lehua Waipa AhNee 〕


ちょうどその頃、ハワイアン・ルネッサンス(ハワイ文化を見直し、ハワイアンとしての誇りを取り戻そうという文化復興運動)が始まっていたこともあり、以来、メリーモナーク人気が爆発しました。人気は年々高まり、チケットは毎年、売り切れ必至。メリーモナーク事務局によればハワイ中はもちろん、日本をはじめアジア、サウジアラビアやカンボジア、ヨーロッパからも入場券購入の申し込みがあるとか。

今では3日間のフラ競技を含めた前後の1週間、クラフトフェアや無料のフラ&音楽のショーなど、競技会以外の催しも多彩です。ヒロの町がハワイ文化一色に染まり、メリーモナーク週間には推定12000人がヒロに集まるとされています。


〔Photo Courtesy of Island of Hawaii Visitors Bureau(IHVB)/Lehua Waipa AhNee 〕

 

メリーモナークがもたらしたもの


以上のように、ヒロの町興しとして始まったメリーモナークですが、メリーモナークがヒロに与えたものは、経済的な効果を遥かに超えるものでした。今やメリーモナークは、観光イベントではなくハワイ最大の文化イベントに成長。「フラのメッカ」「ハワイ文化の中心地」との称号を、ヒロの町に与える結果となったのです。

さらにフラ界に与えた影響も甚大でした。史上初の競技会として、出場ハラウに踊る曲のリサーチペーパーの提出を義務つけたメリーモナーク。その結果、各ハラウでのフラの理解は格段に深まり、ダンサーの意識が向上し、フラをいっそうの高みへと引き上げる役割を果たしました。

〔Photo Courtesy of Island of Hawaii Visitors Bureau(IHVB)/Lehua Waipa AhNee 〕


今やフラは世界でブームを巻き起こし、世界各地でフラ競技会が開かれていますが、リサーチペーパーの提出や細かい審査項目など、ほぼ全ての競技会がメリーモナーク方式を踏襲しています。フラが今のような高度な芸術として蘇り、世界でこれほどの人気を集めるようになったのは、メリーモナークの功績。それが、フラ界共通の認識といえるでしょう。

以上、重ねて述べてきたように、フラダンサーでもそうでなくとも、ハワイ文化を愛する人々にはぜひ一度見ていただきたいイベントが、メリーモナークです。入場券購入の詳細やスケジュールなどは、メリーモナークのホームページをぜひご覧ください。

  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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