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2015.07.10

ハワイアンの主食

  • 古来、タロイモ、次いでサツマイモ、ブレッドフルーツが主食として好まれた。

タロイモ
サトイモ科のタロイモ(ハワイ語でKalo)はポリネシア内外で広く栽培され、ハワイにも、タヒチやマルケサスからもたらされたとされています。ですがポリネシアに散らばる無数の島々のなかでも、ハワイほどタロイモが重視された土地はほかにありません。ハワイアンにとって第一の主食であり、サツマイモ(Uala)やブレッドフルーツ(Ulu)は、あくまでもタロイモが育たない土地での代用食でした。

Photo Courtesy of HTA, Tor Johnson

ハワイアンはタロイモをほかのでんぷん質の植物に比べ、全ての要素において一番優れたものと考えていました。滋養が高いうえ、ハワイの幅広い気候の中で栽培できる点も重んじられた理由の一つです。味覚の上でもタロが最も好まれていました。
 

こんな背景から、18世紀の終わりに西洋人がハワイを訪れるまでに、実に300種以上のタロイモが栽培されていたことがわかっています。これはポリネシア全域で最多。恐らく世界的にも最多でしょう。ある酋長の好物だったので酋長の名が付けられた品種や、色がその魚に似ているというので魚の名がそのまま付いた品種、女神にちなんだ名の品種など、実にさまざまなタロイモが知られています。まさに古代ハワイの食生活の基幹をなしていたのが、タロイモでした。
 

一方、たとえばサツマイモは比較的、雨の少ない地域で育ちますが、雨が多すぎれば根が腐ったり虫がついたりします。サツマイモで作るポイも、数日で酸っぱく発酵してしまうのに対し、タロイモのポイはゆっくりと発酵し1週間以上長持ちします。そんなことからも、タロイモが主食として重用されたのでした。

Photo Courtesy of HTA, Tor Johnson

ちなみに、古代ハワイでタロイモの地位がいかに高かったかを示すものに、ハロアの神話があります。この世に登場した一番初めのタロは、神ワケアとその娘の第一子から発生したそうです。赤ん坊は死産でした。赤ん坊は家のそばに埋められましたが、遺骸からはタロの茎(ハロア)が生えてきました。
 

やがて第二子が産まれてハロアと名づけられ、ハワイアンの始祖となりました。つまり神話上、タロイモはハワイアン始祖の兄ということに。タロイモの重要性を示すユニークな神話ですね。

サツマイモ
タロイモの採れない乾燥した平原や高原では、サツモイモ(Uala)が主食として珍重されていました。サツマイモは南米が起源ですが、ハワイにはタロイモと同じ時期に、やはりポリネシアからの移住者によって持ちこまれたとされています。
 

古代ハワイでは、20種以上のサツマイモが栽培されていました。育つ土壌はタロイモほど幅広くなかったものの、サツマイモのよい点は、なんと言っても成長の早いことです。タロイモが収穫までに1年から1年半を要するのに対し、サツマイモは3ヶ月から6ヶ月で収穫が可能です。

ハワイ第2の主食だったサツマイモ

しかも主に水田で育てるタロイモに比べ、収穫までの労働力がはるかに少なくてすむのも利点でした。サツマイモは蒸してそのまま食べられたほか、ポイも作られていました。
 

そんな背景もあって、タロイモの栽培や収穫、調理は一般に一家の男性の仕事でしたが、サツマイモは、男女分け隔てなく育てていたようです。もっともタロイモ作りに女性が関わらなかった理由には、タロイモが神聖視されていたことも一因です。

ブレッドフルーツ
ブレッドフルーツ(ハワイ語でUlu。日本語ではパンの実)はインドネシア原産。その実は直径20センチ以上あり、重さも4,5キロ。かなり大きいもので、蒸して食べると少し繊維の多いサツマイモのような食感です。元々マレーシアを経由してマルケサスに入り、マルケサスを中心にポリネシア中に広まりました。もちろんハワイにも、マルケサスからもたらされました。
 

マルケサスでは第一の主食であり、ほかの島々をはるかに超える種類のブレッドフルーツがあります。一方、ハワイではそれほど珍重されず、タロイモ、サツマイモのかなり後方に位置する第3の主食でした。

メロンほどの大きさのブレッドフルーツの実

その理由として、1、ハワイには比較的、後世に入ってきたため。2、赤道に近いほかの島々に比べ、(昔のハワイは)ブレッドフルーツが潤沢に実るには若干、気候が涼しすぎた―などの説が。ハワイ島プナ地区やマウイ島南海岸など一部を除いて、実りのシーズンと育つ地域の範囲が限られていたのでは、と推測されています。
 

ハワイアンはブレッドフルーツでポイも作りましたが、タロのポイと同様に長持ちするものの、味覚的にあまり好まれませんでした。栄養的にもタロのポイのほうが上とみなされていました。むしろ、水の代わりにココナッツミルクを入れてポイ状にし、さらにティーリーフで蒸し焼きにする料理、ピエピエレ・ウルが好まれていたようです。

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  • 森出 じゅん
    Jun Moride
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
    森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex

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