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2015.06.26

20世紀のフラ~前編

20世紀前半のフラ不遇の時代を、クムフラが語る

  • 20世紀前半のハワイではハワイ語やフラが軽視されていた

 19世紀のハワイ、どんどん影響力を増していった白人勢力はハワイアンをいろいろな意味で圧迫し続けました。政治、経済、生活様式、すべてにその影響は及び、それはハワイアンが望む望まないに関わらず強引で性急なものでした。世界の各地で見られた欧米人による西洋化の波に、ハワイも呑まれてしまったのです。そしてハワイでも土着の信仰、文化、言葉は卑しめられるようになりました。

 

 19世紀後半、カラカウア王の努力によって一時的にハワイ文化復興の時代を迎えたものの、19世紀の終り、カラカウア病死後王位を継いだ妹のリリウオカラニ女王は白人勢力のクーデターで失脚、1893年にハワイ王朝は転覆させられます。

 

 土地や主権を奪われたネイティブ・ハワイアンを待っていたのは、ハワイ語を話すこと、フラを踊ること、波乗りをすること、島の自然に祈りを捧げること、すべてが西洋的でない「野蛮」なことと見られる社会でした。今では信じられないようなことですが、ハワイ語を話すことやフラを踊ることで罰を受けなければいけない時代があったのです。20世紀前半のこのような時代背景を、ハワイ文化研究者のハワイアン・クプナ、故ノナ・ビーマーさんは生前インタビューに答えてこう回想していました。

アンティー・ノナと親しまれたWinona Beamer

「私の育った家族はとても信心深い家族で、宣教師の影響が強かったんです。だからフラについてもあまり理解を示さない家族のメンバーもいました。けれど祖母(ヘレン・デシャ・ビーマー、多くのフラ・ソングを残したコンポーザー)はフラを教え続けました。祖父や叔父たちが仕事に出かけると、祖母は『さあ、フラをやりましょう』と私たちを集めてレッスンを始めるんです。祖母にとってはフラを伝えることがとても重要なことだったのです。それが彼女の母から伝えられたものだからです。


 私たちはこのようにして公共の場から隠れたところでフラを学びました。祖母の教えを継承するため、私の母は後にワイキキにスタジオを開校し、私自身も先生として教えるようになります。


 私が通っていた当時のカメハメハ・スクールでは、ハワイ文化に関する教育がいっさいありませんでした。ハワイ語やチャント、フラは禁止されていました。なぜハワイアンである私がハワイアンのための学校に行き、そこでハワイアンであることを否定されなければいけないのか、私には納得できませんでした。そこで私はハワイアン・クラブをつくってクラス・メイトたちにフラを教えることをはじめました。ところが、そのことを知った学校から私は除名処分されてしまいました。ハワイの文化には価値がないと信じられていた、そういう時代だったんです。ハワイアンにとって不遇の時代でした。」

 

 当時のハワイ系の子供たちは、例えばハワイアンとして厳格な父親を持つ子供は、家では「英語を話すな」といって叩かれ、学校では「ハワイ語を話すな」と叩かれる、といった不条理な環境に置かれていました。また多くの家庭では、家でも学校でもハワイ語は話してはいけないと育てられ、ハワイアンでありながらハワイ語が話せない世代がこのような背景のもとに生まれてしまうのです。

 

やがて再び訪れるハワイ文化復興の時代を前に、ネイティブ・ハワイアンは嘆きの時代を生きていたのです。

アンティー・ノナが残したハワイ文化関連書籍の一部

  • よしみ Nui だいすけ
    Daisuke Yoshimi
    担当講師

    【インタビュー動画あり】 1967年2月9日生まれ、神奈川県横須賀出身。1991 年よりハワイ在住。ハワイ大学卒業。フラ、ハワイ音楽に傾倒するハワイ・スペシャリストとして、ハワイを拠点に執筆・コーディネート活動を行う。ハワイのクムフラやミュージシャンとの親交も幅広い。フラダンサーとして、メリー・モナーク、キング・カメハメハの大会出場経験あり。著書に『たくさんのメレから集めた言葉たち』シリーズ、『LIVE ALOHA~アロハに生きるハワイアンの教え』がある。近年、フラダンサーを対象とした日本での講演・セミナー活動に力を入れている。
    facebook: https://www.facebook.com/NuiDaisuke
    公式HP: http://www.yoshimidaisuke.com/

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