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所用時間5min
2015.01.29

カハクロア

ハワイアンの生活環境が残る小さな谷合の村

  • アフプアア ( Ahupuaʻa)でのネイティヴハワイアンの生活様式を知るのは、それ自体、ハワイ文化を知る重要な要素になります。
     
  • 諸説あるものの、ハワイでは、島全体をMoku (モク)とかMokupuni(モクプニ=比較的大きな島)と呼び、その一部を ʻOkana、(オカナ)、その又一部分をAhupuaʻaと呼んでいました。Ahupuaʻa は更に細分化されて ʻIli (イリ)と呼ばれる単位分けられて、そこでそれぞれの生活が営まれていまた。

マウイ島北部にそんなイメージの地域があります。その名はカハクロア。


マウイ島のカフルイ空港からホノルルへ、貿易風に向かって滑走路を飛び立つ飛行機の左側の窓からは、ウインドサーフィンの盛んなカナハビーチ (Kanahā Beach) の向こうに、カフルイの町が見渡せます。
左旋回をして、高い山々を左に見ながら上昇して行くと、貿易風の風上にあたる、西マウイの北東海岸は断崖絶壁が続き、その切れ目に小さな緑の谷と海岸が現れます。これがカハクロア。丁度、北緯21度の線上付近にあたりますので、地図上では見つけ易い場所です。


しかし、ここまで車を運転していくのはかなり難しいかもしれません。島の東側からカハクロアに向かう道がありますが、マウイ郡の政治の中心地ワイルクから北へ山道に入り、牧場の中の細い道は更に細く険しくなり、車の交差も難しい曲りくねった未舗装の道を低速で更に延々と走らなければなりません。西側からは、マウイ島の一番北西部に在るリゾート、カパルアから北東へ。こちらの方が距離は短いものの、最後は同じ細い険しい道が待ち受けています。


最後に登りきった断崖の上の道から、稜線に包まれた緑の谷と、その中に点在する家々、そして白い波が立つ三日月型の海岸が見えてきます。ここが、カハクロア。典型的なアフプアア (Ahupuaʻa)の光景です。

アフプアアは、ネイティヴハワイアンの共同生活区域を意味します。
貿易風が高い山にぶつかり霧となって山頂を覆い、雨を降らせ、集まった清水は森の中を川となって流れ下り、人間の生活に必要な作物を作るのに適した土地を造り出します。


山に近いところに住む人々は、川から清水を引き入れてKalo (カロ=タロイモ)を栽培したり、ʻUala(ウアラ=スイートポテト)などの作物を栽培し、海に近いところの住民は沖に出てIʻa(イア=魚)を取り、海岸近くでHeʻe(タコ)やLimu (リム=海藻)等を採り、同じアフプアアの中の住民の間で、山の幸と海の幸を交換し合って生活を営んでいました。


カハクロアの海岸には見当たりませんが、アフプアアの山麓から流れてくる川の水と海水の混ざり合う海辺を石で囲み、Mākāhā (魚の出入りを制御する木の柵)を設けた、Lokoi’a (ロコイア)と呼ばれる養魚場のような池を作っているところも多く見かけます。このようにして食用の魚を育てるのは、ポリネシアの島々の中でもハワイにしかない手法だそうです。


自然と人間の共存と云う意味合いにおいても、アフプアアのシステムへの関心や、壊れてしまったロコイアの修復などが、ハワイ文化の復活とともに重視され、ボランティア活動も盛んになっています。カハクロアでもそのような活動がなされていると聞いています。

アフプアアの概念図

さて、今回はカハクロアを典型的なアフプアアの一例として紹介しましたが、道が険しく実際に行くのは残念ながら難しい地域です。簡単に行けてアフプアアの光景を思い起こせる谷は各島にありますが、容易く行けるところの一つは、オアフ島、コオラウ山脈の北東に在るクアロア牧場周辺でしょう。

 

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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