講座詳細
ロバート・ウィルコックス
王国の英雄か、はたまた危険人物か
- 「太平洋の吼える獅子」と異名をとった政治家
- カリスマ的な魅力で大衆から絶大な人気を誇った
- 過激な思想&行動に、王族も手を焼いたとの説も
理想に燃える軍人気質の王族
ロバート・ウィリアム・カラニ-ヒアポ・ウィルコックスは1855年、マウイ島で生まれました。母はマウイの高位の王族で、父はアメリカのロードアイランド出身の船長でした。
アメリカ人の血を半分受けながらも、ハワイアンとしての誇りを高く抱いていたウィルコックス。政治的な野心も強く、ハワイ王国&共和国時代に議員として活躍したほか、政府に対してたび重なる反乱を起こした人物でもあります。そのためウィルコックスを英雄、風雲児と見る人もいれば、国王をも悩ませた危険人物とみなす人もいます。
ウィルコックスはマウイ島で教育を受け、教職に就いた後、25歳でまずハワイ王国議会の議員に。しかし間もなく2人のハワイアンとともに、イタリアに留学します。
その当時、カラカウア王の肝入りで、ハワイアン子息を海外に留学させる制度がスタートしていました。王族の子息が主に留学生として選ばれ、ウィルコックスも同制度の下、トリノの軍事学校に留学を果たします。トリノでウィルコックスはイタリア人男爵の娘と結婚し、ホノルルに戻ったのは1888年でした。
ところがホノルルで思うような仕事に就けなかったウィルコックスは、生活に困窮。まだ王女だったリリウオカラニは、自分の持ち家の1つを提供する形でウィルコックスを支援します。つまりリリウオカラニはウィルコックスの恩人ともいえる存在ですが、その後ウィルコックスは過激な政治活動を始め、リリウオカラニや兄のカラカウア王を困惑させることもしばしばでした。
ホノルルのダウンタウンには、ホノルル市が建造したウィルコックスの銅像も
2度の謀反を率いた後に政界に復帰
そんなウィルコックスの政治活動の背景として、当時ハワイ王国で白人ビジネスマンの権力が増大し、国王の権威が弱まっていたことが1つ、挙げられます。1887年に発布された新憲法は国王の権限を制限し、収入制限を課すことでハワイアンが投票できない結果を招くなどしていました(カラカウア王がほぼ武力による脅しによって署名させられたため、この憲法は銃剣憲法として世に知られています)。
ウィルコックスはその不名誉な新憲法を覆し、国王の権限を取り戻そうと画策。1889年に叛乱を起こし、ウィルコックスらは一時、イオラニ宮殿向かいの政府ビルを占領。宮殿を護る政府軍にも発砲し、7人もの死者が出る大事件に発展したのでした。
最後にウィルコックスは反逆罪で逮捕されるのですが、裁判で無罪に。彼がカラカウア王のために謀反を起こしたと主張したこと。また政府や新憲法に対する不満が市民の間にも渦巻いていたことなどから、ハワイアンの陪審員が心情的にウィルコックス寄りだったのがその理由と推測されます。
実際、ウィルコックスがカリスマ的な魅力にあふれた人物だったのは確かでしょう。身長180センチを超える堂々とした体躯で、雄弁だったウィルコックス。無罪判決後、1890年には王国議会議員に返り咲いたことからも、彼が民衆の心をつかんでいたことがわかります。
銅像の足元にはウィルコックスの人生の偉業を讃える銅版がはめられている
もっともウィルコックスの王国への忠誠が本物だったかどうかは、議論の分かれるところ。政治的立場を右に左に変える彼を、信用しない人々も多かったのも事実です。
たとえば1893年、白人ビジネスマンを主軸とする革命によってリリウオカラニ女王が退位した時のこと。ウィルコックスは語気荒く革命派を非難しましたが、2ヵ月後にはハワイのアメリカへの併合を求める新併合クラブなる団体を結成。王政反対を唱え始めます。
その後また王政派に戻り、リリウオカラニ女王を擁護する発言を繰り返すように。1895年に王政復古を求めて謀反を再び起こし逮捕され、死刑判決を受けますが、結局ハワイ共和国大統領のサンフォード・ドールの恩赦を受けて自由の身に。早くもその5年後の1900年には選挙に立候補し、ハワイ初の米国議会の議席を射止めました。カラカウア王の妃であるカピオラニ王妃の甥、デビッド・カワナナコア王子を破っての快挙ですから、大したものです。
しかし1902年の再選挙ではデビッド・カワナナコアの弟であるクヒオ王子が勝利。議会を去ったウィルコックスは翌年、ホノルルで死去しています。
以上のように、政治上のたびたびの趣旨変えや体制への過激なアプローチなどから、賛否両論の人ではありながら一貫して民衆を魅了したウィルコックス。1903年10月に死去した時、葬列には数千人が参加したということです。
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森出 じゅんJun Moride担当講師
【インタビュー動画あり】
オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動する傍ら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。イオラニ宮殿日本語ドーセントも務める。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニー・マガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社刊)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(パイインターナショナル)がある。
森出じゅんのハワイ不思議生活 http://blog.goo.ne.jp/moridealex