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2021.01.15

プリンスロットフラフェスティバル

毎年7月にオアフ島で開催されるプリンスロットフラフェスティバルは、ハワイ島で開催されるハワイ最大級のフライベント、メリーモナークに次ぐ大きなフラのフェスティバルと言えるでしょう。競技会であるメリーモナークに対し、プリンスロットフラフェスティバルは非競技でありながら、それぞれのハーラウはフラカヒコ(古典フラ)フラアウアナ(モダンフラ)ケイキフラ(子供のフラ)クプナフラ(年長者のフラ)そしてオリ(詠唱)など、様々な分野で継承してきた伝統文化を披露します。

1978年にスタートしたこのイベントは、1863年から1872年の間カメハメハ5世としてハワイを統治したロット・カプアーイヴァ王子を称えて、ゆかりのあるモアナルアの地でモアナルアガーデンズファウンデーションのNalani Olds とWendell Silvaによって開催されました。

ハワイに宣教師たちが来島した後、禁止されていたフラやチャントを精力的に復興させたのがプリンスロットだったのです。

盲目のチャンターナーマカヘル

1800年中期に生まれたNāmakahelu Kapahikauaokamehameha(ナーマカヘル カパヒカウアオカメハメハ)はオアフ島のフラの中心とも言われたモアナルアに暮らした盲目のチャンターでした。彼女は盲目ゆえに透察力に優れ、時代の流れによって変化を強いられる土地や人々そしてその影響をよく理解していました。1940年代に90代で亡くなるまでの間、彼女はこの地に伝え守られてきたチャントを学び伝えていったのです。

プリンスロットフラフェスティバルでは2017年より、現代の優秀なチャンターに向けてナーマカヘルオリ賞が授与されるようになりました。

1795年のヌウアヌの合戦の後、カメハメハはモアナルアにあるʻĪemi(イーエミ)と呼ばれる泉で休息をとっていた時、子供の誕生を知らせるチャントが聞こえてきました。チャントからはその子供はKākuhihewa(カークヒヘヴァ)の末裔であることがわかり、谷の奥に進んでいくとKahaukomo(カハウコモ)という場所でその子供を見つけ、この子にKapahikauaokamehameha(カパヒーカウアーオーカメハメハ)「カメハメハの戦いの剣」という名前を授けました。この時の子供がナーマカヘルの祖父にあたるのだそうです。

 

モアナルアの歴史

オアフ島のアフプアア(古代からの土地区画)の一つであるモアナルアは海側はケエヒラグーンからカマナイキとカマナヌイという二つの谷の間のコオラウ山脈までのエリアです。

このエリアには二つのタロパッチがあったことからモアナルア「二つの海」という名がついたと言われており、古代にはメネフネやエエパと呼ばれる妖精のような存在が住んでいたといわれる場所でもあります。

1600年代にオアフ島を統治していたKākuhihewa(カークヒヘヴァ)の時代から、このエリアはフラとチャンティングの中心地として確立されてきました。

カメハメハ王のオアフ島統治後、叔父であるKameʻeiamoku(カメッエイアモク)にモアナルアを譲ります。そして1803年にカメッエイアモクが亡くなると、その息子のHoapilikāne(ホアピリカーネ)に、その後1848年のグレイトマヘレという土地区画により土地の所有権はプリンスロットへと渡ります。

1867年にプリンスロットはこの土地にサマーハウスを建て、フラの復興に力を注ぐとともに、大勢の客人を招きルアウ(宴会)が頻繁に開かれていました。

1872年ロット(カメハメハ5世)の死後、この土地は妹のプリンセスルース・ケエリコーラニに、そして彼女の死後は従姉妹であったプリンセスパウアヒ、そして彼女の死後は遺言状に記された通り、1884年に夫のチャールズ・リード・ビショップのビジネスパートナーであったサミュエル・ミルズ・デーモンへと譲渡されました。

1970年代になるとH-3の建設計画が持ち上がり、モアナルアの谷が壊される危機と直面します。そこでデーモン家の姉妹Frances Patches Damon Holt と Harriet Haku Damon Baldwinの二人によってモアナルアガーデンズファウンデーションが設立されたのでした。

 

緑に囲まれたフラフェスティバル

今年で43回目(2020年現在)となるこのフェスティバルは4年前まではプリンスロットゆかりの地であるモアナルアガーデンにて開催されていました。

日立の「この木なんの木」でお馴染みのモンキーポッドの大木があることで有名なガーデンにはプリンスロットのコテージだった建物も残され、たくさんの木々に囲まれた美しい公園です。

奥に作られたフラマウンドでそれぞれのハーラウのパフォーマンスが行われ、観客は敷物やビーチチェアを持ち寄りピクニックのように芝生の上でくつろぎながらフラを堪能することができたのです。

フラ以外にもハワイの伝統工芸のデモンストレーションが行われたり、フードやハワイアンクラフト販売などのブースも設置され、二日間に渡りローカルも観光客もどっぷりとハワイアンカルチャーに浸ることのできる楽しいフェスティバルなのです。

屋内のステージ上でライトが当たるようなフライベントではなく、芝生のフラマウンドの上で大地と繋がりながら、太陽の光、そよぐ風、鳥のさえずりなどを感じながらのフラは踊る者も、見る者も心地よく癒してくれるのではないでしょうか。

現在開催地はダウンタウンのイオラニ宮殿へと移されましたが、この屋外でのセッティングは変わらずに、イオラニ宮殿をバックに仮設ステージの上で光や風を感じながらフラやチャントを堪能することができます。

毎年フェスティバルのテーマが決められ、そのテーマにあった題材のフラやチャントがクムフラたちによって選ばれ、ハーラウごとに与えられた時間内に古典フラ、チャンティング、フラアウアナなどのプログラムが作られ発表されます。

フェスティバルは土曜日の開会セレモニーの後、カメハメハのロイヤルオーダーがあり、そして文化貢献したクムフラにMalia Kau (マリア カウ)賞が授与されたのちそれぞれのハーラウのパフォーマンスが始まります。

続く日曜日は開会セレモニーの後、優秀なチャンターにNāmakahelu(ナーマカヘル)賞が授与されたのち各ハーラウのパフォーマンスへと続きます。

プリンスロットフラフェスティバルはオアフ島カマナヌイバレーの管理を通して、ハワイの文化と自然環境を守りそして永続していくことを目的とし、ハワイのコミュニティに長年愛されて来ました。二日間に渡るイベントは入場無料ですが、5ドルのコクアボタンと呼ばれる寄付が募られています。

またフェスティバル中の週末はイオラニ宮殿の一階と地下のギャラリーは無料で開放されています。



フラの競技会が多い昨今ですが、このように文化を守り、コミュニティとシェアすることを目的としたフラフェスティバルはアロハスピリットに満ちています。

ʻAʻohe pau ka ʻike i ka hālau hoʻokahi

(アッオヘ パウ カ イケ イ カ ハーラウ ホッオカヒ)

「知識は一つのハーラウに止まる事なし」

この諺のように、様々な形で継承されて来たフラが大集合する素敵なイベント。

長年の時を経てハーラウの中で守られてきたフラは、本来どちらが勝ってどちらが劣るというようなものではなく、どれも大切な伝統です。クムフラたちが守り伝えてきた様々なスタイルのフラを互いにシェアしあえるこのようなフラフェスティバルは、これからもずっと守られて行って欲しいと思います。

 

  • ミイラニ・ヨシコ・クーパー
    Mi'ilani Yoshiko Cooper
    担当講師

    Kahaluʻu在住
    Halau Kīhene Pua Uluwehi (ハラウ キーヘネプアウルヴェヒ オアフ島/神奈川)主宰、クムフラ
    Lamakū Hawaiian Study Education (ラマクーハワイアンスタディーエジュケーション)主宰
    アロハフロウファウンダー
    プランツメディスンメイカー
     

    ハワイ大学ヒロ校ハワイ学科卒業 ハワイアンイマージョンスクールNāwahīokalaniōpuʻu(ナーヴァヒーオカラニオープウ)で教鞭を執る
    ハワイ大学マノア校言語学修士
    2006年正統な伝統儀式のもとクムフラの称号を与えられる
    フラヘブン(雑誌)に2年半連載ページを執筆
    個人、企業向けの様々なハワイ文化講座を指導
    現在ビショップ博物館Lā Kūleʻaプログラムのフラクラスを担当
    アンティ マイキのフラを継承するクムフラ、メイ カママル クラインの元、指導者としてフラを学び2006年8月にウニキを経てクムフラの称号を与えられる
    ジョニー ラム ホー、レイ フォンセカの元よりメリーモナーク フラ フェスティバルに出場経験多数
    カジメロブラザースやハパなど有名ミュージシャンのコンサートの出演経験多数
    また、ダンサーとしての体作りの必要性からヨガを始め、ハワイの文化とヨガを融合させた Alohaflowを独自で考案
    ハワイの価値観をもとにHoʻoponopono的なライフスタイリングや自然と調和できるサステイナブルなライフスタイルを目指している

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