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所用時間5min
2014.01.17

島の生成からクック船長来島まで

ポリネシアの最北に位置する「ハワイ」

  • ハワイ諸島は西北西にミッドウエイ島のあたりまで続いています。
     
  • 紀元後1300年頃以降は外界との交流がなかったハワイの人々。
     
  • 1778年の英国のクック船長による島々への到達は、ハワイに画期的な歴史の転換を及ぼしました。

ハワイの島々は、現在のハワイ島東部に位置するホットスポットからのマグマの流出により造られた火山島です。島は太平洋プレートと共に日本の方角、西北西に向けて、1年に10センチ弱ほどの速さで移動しています。従って西に行くほど島の生成年代が古くなり、ハワイ諸島(ハワイ語でパパ ハナウ モク アケア)の中で一番古い島は、ミッドウエイ島の西約90キロのところに在るクレ環礁です。人の住む島の中では、一番西に位置するニイハウ島とカウアイ島の生成年代が一番古いことになります。クレ環礁の先には海底火山が続き、あるところからその列は西北西から北北西に向きを変え、カムチャツカ半島に向けて天皇海山群の名称で一直線に続いています。


ハワイ8島

ハワイにはいつ頃から人が住んでいたのかについてはポリネシアの項で、紀元後500年から700年頃にマルケサスから来島、との篠遠博士の説を紹介しました。そして紀元後1000年頃から始まったタヒチとハワイの間の相互移動は1300年頃以降に何らかの理由で消滅してしまいます。小氷期のように温度が若干下がり風向きにも影響が出て、長距離の海上移動が不可能になったためなのかもしれません。何れにせよ、現在のハワイ文化は、タヒチ(ハワイ語ではカヒキ)の文化が基になっていると考えられています。それでは、先にハワイに住んでいたマルケサスから来たポリネシア人はどこへ行ったのか。西に追いやられた可能性もあります。カウアイ島より西に在る、現在は人が住んでいないネッカー島(ハワイ名:モクマナマナ)とニホア島では、篠遠博士の恩師ケネス エモリー博士によって祭祀場が発見されており、ネッカー島で見つかった小さな石像はマルケサスの神像に類似しているとも云われています。但し現在のところ、これ以上の証明はなされていません。


ネッカー島で発見された神の石像
ビショップ博物館の展示物より


西欧人来島前のハワイでは、明確な階級制度の下で社会が構成されていました。モイもしくはアリイ ヌイと称する王の下にアリイと呼ばれる支配階級が居り、その下にカフナと呼ばれる知識階級や神官に相当する人々が居ました。カフナは、スペシャリストと云った方が分かり易いかもしれません。平民はマカアイナナと呼ばれ、最下層にはカウア(労働を強いられている人達)が居て、その社会はピラミッドのように出来上がっていました。

島はモク、もしくはモクプニと呼ばれ、大きな島は幾つかのモク(地域)に分けられ、それぞれアリイが支配していました。モクは、稜線などで分けられたアフプアアと呼ばれる、高い山の頂から海岸まで続く人々の共同生活地域に分けられ、低い身分のアリイの管理者「コノヒキ」がその地域での権限をもっていました
「アフ(祭壇)プアア(豚)」には緑豊かな森が連なり、峰々からの清水により潤い、タロ芋などの植物性の食物が育まれ、海岸近くの清水と海水が混ざり合う場所に養魚場「ロコイア」が作られ、自給自足の生活が営まれていました。

人々の生活は、ハワイアンの創世記にも相当する神話「クムリポ」を基に、神話や伝説の中に登場する神々の教えに則り、それを基にし、もしくは王が発する「カプ」と呼ばれる制度、社会規範により規律が保たれていました。カプは他のポリネシアの島々ではタプと発音され、クック船長に同行した学者がこの言葉を記録していて、これが基になって英語になったのがタブーと云う言葉です。これでカプの意味合いが解るでしょう。

紀元後1300年頃以降は外界から閉ざされていたハワイに、南の洋上から白い帆を揚げた二隻の船が現れます。英国の探検家ジェームズ クック船長率いる一団が3回目の太平洋探検でタヒチから北上し、始めて北太平洋に入り1778年1月にハワイの島々を発見。この航海を命じた海軍卿サンドイッチ伯爵に敬意を表しサンドイッチ アイランドと名付けたのでした。 北米大陸とアジアの間に島が発見されたことにより、ハワイには貿易船の補給や北太平洋の越冬地として西欧人が来島するようになり、西欧人の助言や大砲をたくみに利用したハワイ島の王カメハメハにより島々は統一され、ハワイ王国成立への道筋を辿ります。


クック船長
英国グリニッジの国立海事博物館

 

補足事項

クック船長の第3回太平洋探検で始めて北太平洋に北上してきた目的は、米大陸の北側に大西洋と太平洋を結ぶ水路が有るか否かを調べることでした。カナダのバンクーバー島西部「ヌートカサウンド」も当時の歴史を語るのに重要な位置を占めます。

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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