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2020.07.07

ルアウ

ここがポイント

「ルアウ」とは実際は何なのか?人々が集まり飲食を共にする機会としてのルアウの歴史を学びます。

ハワイの伝統文化を体験できる、観光客の方々に人気のルアウ(Lūʻau)。ハワイ各地のルアウ専用施設、ホテルなどで行われているルアウは、毎晩大勢の人々で賑わいます。現代のルアウは、ハワイ文化のアクティビティー体験、そしてディナーショーという色合いの濃いものですが、昔のルアウは、どのようなものだったのでしょうか。

ルアウの言葉の意味



ルアウ(Lūʻau 実際の発音はルーアウ)という言葉は、人々が集まることではなく、タロの葉のこと、そして、タロの葉をココナッツミルクで煮込んだ料理のことを指します。現代のように、人々が集まって飲食を共にするイベントのようなものを、Lūʻauと呼び始めたのは1856年頃とされており、カメハメハ4世とエマ女王の結婚式後の祝いの席のことを、当時の新聞“The Pacific commercial advertiser”でLūʻauと称しています。それ以前、同じような祝いの席や、人々が集まって飲食するような場のことは、アハアイナ(ʻAhaʻaina-ʻaha集まる、ʻaina食事) やパーイナ(Pāʻina)と呼ばれていました。Lūʻauという言葉に置き換えられたのは、タロの葉を使った料理がパーティーによく出されていたこと、欧米人には、アハアイナやパーイナよりも、ルーアウの方が言いやすかったという背景があったようです。

古代におけるアハアイナとは

古代ハワイにおいて、アハアイナ(人々が集まり食事を共にする祝宴など)は、◦戦争に勝った時、◦カヌーの進水式、◦カパやラウハラマット、家などが完成した時、◦Makahikiの時期など、「守護神や神に感謝する為の集まり」という側面がありました。このような機会に、普段の食事では食さない豚がイム(Imu、土を掘り、底に置いた熱した石で調理するオーブンにあたるもの)で調理されました。ちなみに、1819年に、それまでの社会ルールであったカプ(禁制)が廃止されるまでは、男女が共に食事をすることは禁じられていましたので、祝宴であっても男女が飲食を共にすることはできず、また、祝宴で出される豚を女性が食べられるようになったのも、カプの禁止以降のことでした。

以下に挙げるものは、アハアイナの種類の一部です。

●ʻAhaʻaina kahukahu(kahukahu奉納)
職人として、魚捕り網、ボウル、ラウハラマット、カパなどを初めて完成させた時に行う祝宴。作られたものは、作り手の守護神(ʻaumakua)に捧げられ、実際に使用せずに、作り手が亡くなった時に共に葬られることもありました。

●Ahaʻaina hoʻolaʻa(hoʻolaʻa捧げる)
完成した家やカヌー、魚捕り網などに対して行われる祝宴。守護神や神に捧げられました。

●ʻAhaʻaina hoʻokipa(hoʻokipa歓迎する)
長期間離れていた家族や親戚が戻ってきたことを祝う祝宴。

●ʻAhaʻaina laulima(laulima協力)
多くの人々の協力で、開墾、灌漑用水路、タロ畑、養魚場が完成した際に行う祝宴。

●ʻAhaʻaina māwaewae(māwaewae取り除く)
最初の子が生まれて間もなく開かれ、次に続く子供達のためにも、不幸を取り除くために行う集まり。


(西洋人のハワイ移住以前の食事と同様の様子。Hawaii State Archives)

ハワイ王国時代に入れば、王族の誕生日や、王国にとって大切な記念日などに、大掛かりなルアウが開かれるようになりました。

ハワイ史上最大のルアウ

ハワイ各地で行われている現代のルアウでは、会場の大きさにもよりますが、およそ300人から800人程がショーと食事を楽しめるようになっています。この規模でも十分大きいパーティーとなりますが、その数を大きくしのぐ記録的なルアウが、1847年に行われています。
このルアウに先立つ1843年2月、イギリス海軍のジョージ・ポーレットにより、ハワイの主権が一時奪われる出来事がありました。その5か月後の7月31日、ハワイに向かったトーマス英国太平洋司令官により、ハワイ王国の独立の維持と、ハワイ王国に主権があることが宣言されました。この日をハワイでは、主権回復の日(Sovereignty Restoration Day)としています。1847年7月31日、主権回復の日を祝うルアウが、カメハメハ3世の夏の離宮、オアフ島のヌウアヌにあるカニアカプープー(Kaniakapūpū)で行われ、1万人がこのルアウに参加したとされています。それでは、このルアウのために用意された食材を見てみましょう。

豚271頭

鶏602羽
雄牛3頭
生魚1820匹
魚の塩漬け3125匹分
鴨55羽
ターキー82羽
たこ180杯
タロイモ4000個
ココナッツ2245個
バナナ80房
パイナップル55個
ポイ、大きなボウル482杯分
豚の塩漬け、3樽分
ビスケット、2樽分
タロの葉とキャベツ、12樽分
ジャガイモ、10樽分
その他、オレンジ、ライム、ぶどうなどの果物

それぞれの食材の量を見ても、想像を超える大きさのルアウであったことが分かります。後のカラカウア王も、自身の50歳の誕生日を祝う祝宴を1886年11月16日から29日の2週間にかけて行いました。一般の人々からの招待客も含め、およそ1500人(内、1000人はハワイアンとみられています)がイオラニ宮殿でのルアウに招待され、500人ずつテーブルに着き、食事を楽しみました。


(1886年カラカウア王の誕生日を祝う祝宴で、宮殿から出てくる人々。Hawaii State Archives)


(1800年代後期のルアウの食卓の様子。Hawaii State Archives)

観光地としてのハワイの発展とルアウ


(Hawaii State Archives)

古代から、人々が集まり食事を共にする機会であったアハアイナ、そしてアハアイナはルアウへ。王族が外国からの客人をもてなす際に開かれた豪華なルアウもあれば、一般の人々も、結婚式や誕生日など、家族や親戚が集まって行うルアウも行われてきました。ハワイの伝統料理や文化を継承、そして体験できるルアウは、ハワイが観光地として発展していくのに合わせ、観光客を対象にしたルアウとして発展していきました。

1900年代に入り、ワイキキにて、モアナホテルの開業に続きロイヤルハワイアンホテルが開業、アメリカ本土からの観光客の移動手段となっていた船も、より大型の船が就航し、ハワイを訪れる観光客数も伸びていきました。第二次世界大戦を挟んで、1959年にはアメリカの50番目の州となったハワイは、アメリカ本土でさらに注目を集め、飛行機の就航の後押しもあって、ハワイは観光地として発展していくことになります。そのような中、1960年代にはルアウは人気のアトラクションとなり、70年代にかけて実際にイムを使って調理をするルアウ専用施設が作られていきました。

(Hawaii State Archives)

現代のルアウで供される料理は、照り焼きチキン/ビーフ、サラダ、白米、タロを使ったパン、ケーキなどが加わり、現代の人々の嗜好に合わせたものも登場しますが、基本となっているのは、古代ハワイのルアウと同様に伝統的な食べ物(カルアピッグ、ポイ、ラウラウ、ポケ、蒸したサツマイモ、スクイッド・ルアウ、ハウピア)です。



ルアウ会場に到着すると、首にはレイをかけてもらい、用意された昔ながらの長い横並びのテーブルでは、家族・友人以外の人々とも隣り合って座ります。会場の一角では、ポイやレイを作るといったカルチャ―体験が用意され、ステージではハワイアンミュージック、そしてフラ、目を見張るようなファイヤーナイフダンス(こちらはサモアの文化です)も場を盛り上げます。



観光客の方々のために用意されているルアウは、単なるディナーショー以上に、ハワイの文化さらには広くポリネシアンの文化を深く体験できる貴重な機会です。一度ルアウを体験した後には、誕生会や記念日など、ご家庭でもハワイをテーマにルアウのようなパーティーを再現してみると、よりハワイに対する理解が深まり、よりハワイを身近に感じることができるのではないでしょうか。
  • ロバーツさゆり
    Sayuri Roberts
    担当講師

    東京生まれ。筑波大学・比較文化学類にて北米の歴史・文化を学び、英会話スクールの講師等を経て、結婚を機にハワイへ移住。Native Hawaiian Hospitality Association主催の歴史ツアー「Queen's Tour(当時)」に参加し、ツアーガイドの方に、日本語の通訳を頼まれたことから、2004年、ガイドとして登録、研修の上、日本語の歴史ツアーを始める。2006年、「Queen's Tour」の終了を機に、ツアーの継続について主催者の了承を得て、Hawaii Historic Tour LLCを発足、「ワイキキ歴史街道日本語ツアー(当時)」(その後「ワイキキ歴史街道ツアー」に改称)を開始。2007年、「ダウンタウン歴史街道ツアー」もスタート。テレビ、ラジオ、雑誌等、メディア出演多数。 『お母さんが教える子供の英語』(はまの出版)著者。

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