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所用時間5min
2014.10.14

カメハメハ四世

1855年1月、カメハメハ大王の孫が王位に就きました。

  • 太平洋を挟んでの隣国である米合衆国との関係が、良しにつけ悪しきにつけハワイ王国に大きな影響をもたらしていた中で、カメハメハ四世は公私共に英国との関係に好意的でした。

カメハメハ四世(ビショップ博物館の展示物より)


後にカメハメハ四世として王位に就く「アレキサンダー リホリホ」は、カメハメハ大王の娘キナウの子として1834年2月9日にホノルルで生まれ、カメハメハ三世の養子(ハナイ)として幼少の時を過ごしました。ロイヤルスクールで米国人宣教師による英語による教育を受け、1849年、15歳の時に、後に四世の後を継いでカメハメハ五世となる兄「ロット」、当時の大蔵大臣であったジャッド博士と共に欧州へ旅しています。渡航の主たる目的は、フランス戦艦が破壊したホノルル港の保証をフランスに求めるためでしたが、交渉は不成功に終わりました。しかし英国では歓迎を受け、とりわけ英国王室には好感を抱いた様子です。

欧州渡航時の写真 右下が四世 左下は兄のロット
(写真提供:ビショップ博物館)

欧州からの帰途、ワシントンDCで米国大統領にも会っています。その時、ワシントンとニューヨーク間の列車でアフリカ系米人と間違われ、コンパートメントから退去させられそうになるという経験をし、これがアメリカへの強い偏見として四世の心の中に残りました。結果として英国に好意を持つ反面、米国からの宣教師の教育を受けたことを後悔する様になったとも伝えられています。米合衆国によるハワイ王国併合にも神経を尖らせるようになります。併合を阻む上でも両国間の互恵条約を締結しようとし、1855年春に司法長官ウイリアム リー をワシントンに派遣しますが、南部の砂糖業者等の声を反映した上院の反対により、失敗に終りました。

 

四世が英国贔屓と云われる所以には、エマ王妃の存在もありました。エマは、カメハメハ大王が島々を統一して王国を創り上げた際に、その腹心の部下として活躍した英国人ジョン ヤングの孫にあたります。1856年6月、四世はカワイアハオ教会で、英国の血が四分の一流れている エマ ルークと結婚。英国国教会のリチャード アームストロング牧師の司式により結婚式を挙げました。

エマ王妃(ビショップ博物館の展示物より)

ここで、カメハメハ四世と日本との関係に一つだけ触れておきます。1860年(万延元年)日米修好通商条約批准のため、日本の使節団が米海軍ポーハタン号でサンフランシスコに向かいました。これに随伴した咸臨丸はサンフランシスコからの帰路、石炭と水の補給のためにホノルルに寄港し、代表の木村摂津守喜毅が四世に謁見。その際に日本からの移民受入れにつき王が言及しています。通訳を務めたのはジョン万次郎でした。ハワイ王国中期の経済を支えていた捕鯨は、1859年にペンシルバニアで石油が発見されることにより鯨油の価格が暴落し、廃れていきます。それに代わり、カメハメハ三世の時代から始まり、拡大してきた産業が砂糖生産でした。王国はそのための労働力を必要とし、移民を受け入れる時代になろうとしている頃でした。
さて、話を四世と英国との関係に戻します。四世とエマ王妃は英国国教を招聘しようと、英国のビクトリア女王に嘆願書をしたため、1861年にランベスパレスでカンタベリー大主教によりトーマス スタンレー博士がハワイ諸島教区主教に選ばれ、翌年10月に来島しました。
しかし、一人息子で四世が後継者として指名したアルバート王子が8月に他界。亡くなる直前に、ビクトリア女王を名親として洗礼を受けさせましたが、主教のハワイ到着は、それに間に合いませんでした。アルバート王子の洗礼に使用するためにビクトリア女王から贈られた銀のチャリス(聖杯)は今でもエマ夏の離宮に展示されています。王は、王領の土地を英国国教会に分け与え、そこに主教座聖堂を作らせました。それが現在ホノルルのダウンタウン、ハワイ州知事公邸の横に在るセント アンドリュース大聖堂です。

エマ王妃夏の離宮

四世は、イオラニ宮殿の他に六軒の私邸を持っており、エマ王妃夏の離宮はそのひとつで、エマの叔父ケオニ アナより譲り受けたものです。

喘息の持病のあった四世はこの高台に建つこの家によく静養に行っていましたが、最愛の息子アルバート王子を亡くした翌年の1863年、王が29歳の若さでこの世を去ってからは、エマ王妃がもっぱらこの家で暮らしていました。

 

ハワイ諸島を発見したクック船長から始まり、バンクーバー船長の影響、ジョン ヤングの存在、そしてセント アンドリュース大聖堂とその前のベレタニア通り、エマ王妃夏の離宮など。そしてユニオンジャックが左上にデザイされたハワイ王国の国旗をそのまま引き継いだハワイ州旗に至るまで、ハワイには英国の香りが今でも残されています。

セント アンドリュース大聖堂

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  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、21年間務めた。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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