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2015.11.30

ホノウリウリ

オアフ島の日系人収容所跡地が米国の国定史跡に指定されました。

  • 現在多くの観光客が訪れるハワイ。今から70数年前には日米間の戦争のはざまで揺れ動く日系人の歴史がありました。その一幕がホノウリウリ収容所でした。
     
  • 日系人が多数住んでいたハワイ。西欧人の中に少数の日系人が住んでいた米本土。それぞれの地で育った日系二世の間には考え方の違いが生じ、第二次世界大戦に従軍した日系兵士の中でもその違いが既に認識されていました。

2015年2月24日、太平洋戦争中に使用された「ホノウリウリ日系人収容所跡地」がオバマ前大統領により、国定史跡に指定されました。
「ホノウリウリ」はあまり聞きなれない地名ですが、かつては真珠湾の西側、エヴァからカポレイにかけての海岸から山まで伸びる、ネイティヴ ハワイアンの人々の共同生活地域「アフプアア」の名でした。
ホノルル市内からH-1フリーウエイを西へ、クニアの出口を出て山に向かい、しばらく行った左側、現在モンサント社の所有する農地の奥の谷間にこの収容所跡がありますが、一般道路からは全く見えない場所です。


1941年12月7日の真珠湾攻撃の後、米国内の日系人は敵性外国人とみなされ収容所に送られました。しかし日系人が人口の多くを占めるハワイでの収容は、政府関係者、教育者、宗教関係者など一部の人のみに留まり、サンドアイランドに収容所が作られました。ホノルル港の対岸、現在は沿岸警備隊基地やコンテナ埠頭がある島です。カウアイ、マウイ、ハワイ島にも収容所が作られました。現在多くの日本人も訪れるハワイ島のキラウエア、火山国立公園のビジターセンターからハレマウマウの火口に向かう途中の右側(西側)に在る軍関係者の宿泊施設「キラウエア ミリタリー キャンプ」も当時、日系人収容所として使われていたことを知る人は少なくなりました。
ハワイの場合、収容されたのは日系人人口の1%に過ぎませんが、主要な職に在る人達でしたので、日系社会全体に与えた影響は大きかったと云えます。


1942年2月になると、オアフ島のサンドアイランドのキャンプに収容されていた一部の人は米本土の収容所に移され始め、サンドアイランドの施設に代わり1943年3月にホノウリウリに収容施設が開設されました。当時の収容者から「地獄谷」と呼ばれたキャンプには、日本人、米国籍を持つ日系二世の他に、ハワイ在住のドイツ人、イタリア人や、日本人戦争捕虜と軍属を含む、多い時には4千人近くの人々が送りこまれました。

1945~6年頃のホノウリウリキャンプ
Photograph by R. H. Lodge. Courtesy of Japanese Culture Center of Hawai‘i /AR 19 Archivel Collection

1945~6年頃のホノウリウリキャンプPhotograph by R. H. Lodge. Courtesy of Japanese Culture Center of Hawai?i /AR 19 Archivel Collection

しかし、太平洋戦争が終わり時間が経つにつれ、ホノウリウリ日系人収容所の存在は、ハワイに住む人々の間でも一般には忘れ去られていきました。一方1979年初めから、米西海岸に住む日系米人活動家が大戦中に収容されたことに対し賠償を求める活動を始め、1988年にレーガン大統領がCivil Liberties Act (市民自由法)に署名するに至ります。その流れの中でハワイ州内のテレビ局からハワイ日本文化センター (Japanese Cultural Center of Hawaii = JCCH) に、ホノウリウリ収容所に関する問い合わせがあり、その数年後にその存在が突き止められました。その後JCCHは収容所跡地を保存する活動を始め、2006年にはブッシュ大統領により全米各地の収容所保存が認められ、連邦議会も予算措置を取り、ホノウリウリもその中に含まれました。JCCHは2007年より、ハワイ州内の高校でのホノウリウリ紹介授業にも取り組んでいます。

ハワイ日本文化センター (Japanese Cultural Center of Hawai?i)

ホノウリウリ収容所跡地周辺は以前、砂糖キビ畑に囲まれていました。キャンプ地は雑草や木々に覆われて、その存在も分からなくなっていましたが、ハワイ大学西オアフ校の考古学専攻の学生により発掘が進められ、長く放置されていた谷間からは、1944年と書かれたマンホールの跡や、洗濯場であった場所等が次々に発掘されています。

1944年と書かれたマンホール

発掘された洗濯場跡

現在JCCHを中心に、戦時中の収容者の苦労を偲び且つ今後の平和を求めて、この場所を真珠湾と同じ米国の国立歴史公園にしようとの運動が進められています。発掘現場は、まだ一般に開放されていませんが、ハワイ州の今に至る発展を支えた日系移民の歴史の一幕が残る貴重な場所です。後世の人々にそれを伝えるべく、カリフォルニアのマンザナのような国立公園として皆さんが自由に見学出来る場所に、早くなることを望んでいます。

マンザナの日系人収容所跡

マンザナの日系人収容所跡


 

  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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