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2014.10.27

カピオラニ王妃

ハワイ王国第7代カラカウア王の王妃


ハワイ王国第7代王、カラカウア王のお妃、カピオラニ王妃は本名ジュリア・カピオラニ・ナーペラ - カプ・オ・カーカアエといい、1834年12月31日ハワイ島ヒロにて、父は高位酋長クーヒオ、母はカウアイ島の最後の王カウムアリイの娘、キノイキとの間に生まれました。カメハメハ3世の世、カピオラニ王妃は10代の頃にホノルルへ移り住みました。
17歳の時にエマ王妃の父方の兄弟、酋長であったベネット・ナマケハと結婚しました。ナマケハはカピオラニ王妃より少なくても30歳は年上の男性だったため、健康には優れていませんでした。

イオラニ宮殿2階の音楽室に飾られているカピオラニ王妃の肖像画
1883年カメハメハ王戴冠式の時の服装にて

イオラニ宮殿2階の音楽室の様子

ハワイ王国第4代カメハメハ4世とエマ王妃との間には、プリンス・アルバートという王子が生まれていました。当時カピオラニ王妃は死産した直後だったこともあり、また、エマ王妃の義理の叔母に当たったカピオラニ王妃をこのアルバート王子の乳母にと、王と王妃より任命を受けました。

 

カピオラニ王妃は24歳の時に夫ナマケハを亡くし、未亡人となりました。その3年後には乳母をしていたアルバート王子も4歳で亡くなったため、乳母としての仕事も終えました。

 

28歳の時、後にハワイ王国第7代国王になったカラカウア王と結婚をしますが、アルバート王子の亡くなった1年後にカメハメハ4世も亡くなり、王国は喪中の最中でした。よって二人の結婚式は静かに行われたと言われています。カピオラニ王妃はカラカウア王の2歳年上でした。

 

カピオラニ王妃が39歳の時、カラカウア王が選挙によりハワイ王国の第7代王となりました。

 

王妃としての最初の公務は、カピオラニ王妃の個人的なミッションでもあったハンセン氏病の人たちへの寄付金集めでした。ホノルルの女性達とチャリティーイベントを開催し、多くの寄付金を集め、ハンセン氏病患者へ貢献しました。

 

そして王妃のもう一つの願いは、ハワイアンという人種を守っていくことでした。王妃自身の苦い経験から、ハワイのすべての母親達が安心して子供を産めるような施設を開設することが王妃のたっての願いでした。

 

王妃の願いは1890年、カピオラニ産院の開設で実現しました。その施設は今でもカピオラニ・メディカル・センター・フォー・ウーマンズ・アンド・チルドレンズとし、たくさんのハワイの子供達が生まれ、ホノルル唯一、子供専用の最新機器、かつ最新技術を持つ病院として機能しています。現在のアメリカ合衆国大統領、バラク・オバマ氏もこの病院で産まれています。

 

カピオラニ王妃のモットーであった「Kulia I Ka Nuu」とは「最善を尽くす」という意があります。イオラニ宮殿の王妃の寝室にはこのモットーを刻んだ、オリジナルのシルクサテンのベッドカバーが王妃のオリジナルのベッドの上に掛けてあります。

 

王妃が47歳の1882年、イオラニ宮殿が完成し、翌年1883年には戴冠式を行っています。小さい時から王族の教育を受け、ハワイ語と英語を流暢に話されたとのことですが、あまり賑やかな場所を好まれなかった性格から、王妃の日常はハワイ語を使い、プライベートな時間を楽しまれたと言われています。

 

49歳の時、王妃の妹、ケカウリケ王女が亡くなり3人の王子の親代わりにもなりました。この中の一人ジョナ・クヒオ・カラニアナオレ王子は後にアメリカ議会の下院議員としてワシントンDCにおいて、生涯ハワイの為に活躍しました。

 

またもう一人の王子、デイビッド・カワーナナコア王子は今でも子孫の方が生存されています。

イオラニ宮殿2階のカピオラニ王妃の寝室
ベッドには王妃のモットー「最善を尽くす」という文字が刻まれています
courtesy of Mayumi Watanuki

1887年の6月、ハワイ王国と密接な関係にあったイギリス王国のヴィクトリア女王の即位50周年の式典に招待されました。カラカウア王は多忙なため、カピオラニ王妃は、当時王女であったリリウオカラニ王女と共に式典に出席しました。ハワイ王国の王妃と王女いうことで式典の中でも最も重要な人物として手厚く迎えられました。イオラニ宮殿青の間に飾られているウェストミンスター寺院での式典の絵には、お二人が最前列に参列されている様子が描かれています。

ウェストミンスター寺院でのイギリス王国ヴィクトリア女王即位50周年の式典にて
丸の後ろにカピオラニ王妃、手前にリリウオカラニ王女- courtesy of Iolani Palace

カピオラニ王妃とカラカウア王の間には子供はいませんでした。カラカウア王の弟君レレイオホク王子は23歳の若さで亡くなってしまったので、王位継承はリリウオカラニ王女ということになりました。


カラカウア王の健康があまり良くなかったため、医者の勧めでサンフランシスコに旅立ちました。1890年カピオラニ産院の開設6ヶ月後のことですが、結局1891の1月、王はサンフランシスコで亡くなり、ハワイには無言の帰宅をしました。カピオラニ王妃56歳の時でした。


その後王妃はワイキキにあった別荘、プアレイラニに移り住み、64年の生涯をハワイの人々の健康と福祉に貢献し、ハワイ王国第7代カラカウア王の献身的な妻として人生を送られたのでした。現在でもワイキキのカピオラニ公園は人々の憩いの場になっており、カピオラニ王妃の像はその一部に佇ずみ、ハワイの人々を見守っています。

カピオラニ公園に佇むカピオラニ王妃の像

カピオラニ王妃の誕生を祝い、毎年イオラニ宮殿では夜のツアーを開催しています。1年に一度、毎年大晦日より少し早い時期に、夜に開催されるツアーで、昼間のイオラニ宮殿とは全く違った、素晴らしい経験になります。また。当時さながらのピアノ演奏、オペラ、キャンドルをたいたコアウッドの階段、舞踏会を再現している王座の間はまるでタイムスリップしたような幻想的な宮殿内となります。日程については毎年9月くらいにイオラニ宮殿のサイト(英語のみ)にて発表されるので、お見逃しなく。

カピオラニ王妃の誕生日を祝う年に一度のイオラニ宮殿夜のツアー

  • 藤原 アン 小百合
    Sayuri Anne Fujiwara
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。

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