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所用時間5min
2014.01.17

ハワイの歴史を知るために知っておきたい言葉

アフプアア
ネイティブ ハワイアンの共同生活地域。山の頂から海岸に至る一地域内で、森の利用、清水によるタロ芋などの育成、海岸近くでの養魚場、海での漁業等で一集団の生活が営まれていた。アフは祭壇、プアアは豚の意。隣接する地域との境界線に豚の像を置いた祭壇が設けられたことに由来する。



【オーストロネシア語族(諸語)】
中国東南部もしくは台灣の原住民の言語が基になっていると考えられている言語。ハワイ語を含むポリネシア語はこの語族に含まれる。マレー人が西へ移動したことから、この語族はマダガスカル島の言語まで広く分布している。



【カヒキ】
ハワイアンの考えた大海の彼方の地、もしくはタヒチのこと。自分達の祖の地との意味合いも持つ。



【カプ】
ネイティブ ハワイアンの社会規範、制度、禁制の名称。ポリネシアの他地域ではタプと発音する。タプが元になって英語化された言葉がタブー。カメハメハ二世の時にこの制度は崩壊した。



カメハメハ大王
ハワイ諸島と統一して王国を創り上げた王。ハワイ島北部コハラの生まれ。孤独な人との意味を持つ名。



【官約移民】
明治政府が正式に認めたハワイへの移民制度。1881年にカラカウア王が明治天皇に謁見し要請したことを切っ掛けに、1885年(明治18年)より開始された。



クック船長
ジェームズ クックは英国海軍の探検家。三回目の太平洋探検で、北米大陸の北に太平洋と大西洋をつなぐ水路が有るか否かを調べる為に太平洋を北上し、1778年にハワイ諸島を発見。この航海を命じた海軍卿サンドイッチ伯爵に敬意を表し、サンドイッチ諸島と名付けた



【グレート マヘレ】
1848年にカメハメハ三世が施行した土地私有制度。ハワイ全体の3分の1を王領とし、一般人と外国人の土地所有も認められたが、ハワイアンの土地への考え方を覆す結果ともなった。 マヘレは部分や分割を意味する。



【砂糖産業】
ハワイ王国後期の経済を支えた一大産業。良質の砂糖を米合衆国に販売することにより王国は繁栄した。カラーカウア王は米国との互恵条約締結に成功し輸出を延ばすが、同時に砂糖農園主と、その貿易に携わる西欧人の力が増して王権を揺るがし、王国消滅の引き金ともなった。



【ハワイ共和国】
1893年にリリウオカラニ女王が王権を放棄したが、当時の米合衆国大統領クリーブランドは米国への併合を認めず、ハワイは1898年までハワイ共和国 ( Republic of Hawaii ) として存続した。



【ハワイ準州】
ハワイは、1900年から、50番目の州になる1959年までの間、米合衆国の準州(テリトリー)であった。



【ハワイアン ルネッサンス】
1970年代に盛んになったハワイ文化を取り戻そうとする復興運動
。ネイティブ アメリカンや、同じポリネシア人であるニュージーランドのマオリの復権がそのきっかけになった。独自の言葉無くして文化は存続出来ないとの考えから、若者のハワイ語学習などが盛んになった。古代ポリネシアの天文航法を再現したホクレア号のタヒチへの航海成功にも触発された。



【白檀】
カメハメハ大王の頃、北米からハワイに立寄り中国に毛皮などを売り込む貿易船が、香りのよい白檀が中国では高値で売れることに着目し、ハワイ王国の初期はその輸出で潤った。しかし二世の頃には伐採しすぎ、木が枯渇してしまった。



【ヘイアウ】
ハワイの祭祀場。1819年のカプ制度崩壊により、その本来の役目を終えるが現在もハワイの島々の各所に石組みが残されている。



【プウ コホラ】
ジョン ヤング等の西欧人の力と大砲の威力も利用し、1795年にカメハメハ大王が、マウイ島とオアフ島を攻略する前の数年間、その準備の為にハワイ島北西部カワイハエに創ったヘイアウの名。直訳すれば「鯨の丘」。



【捕鯨】
ハワイ王国中期の経済を担った産業。ペンシルヴァニアで1859年に石油が発見される前の米合衆国に灯火と機械油を供給するため、マサチューセッツから多くの捕鯨船が太平洋に展開。ホノルルとラハイナは、鯨油販売の中継基地と補給基地として繁栄した。



【ポリネシア】
太平洋の広い範囲を占める一つの文化圏。北端のハワイと、東端のイースター島、西端のマオリの住むニュージーランドを結ぶ、ほぼ三角形の中に点在する島々を指す。



【マウナ アラ】
ハワイの王族の墓地。ホノルルのダウンタウン、ヌウアヌ通りを山に向かったところに在る。



リリウオカラニ女王
ハワイ王国最後の女王。1893年に王権を放棄するに至る。アロハオエの作詞作曲者でもある。
 
  • 浅沼 正和
    Masakazu Asanuma
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    ハワイ在住通算27年目を迎える。2001年からビショップ博物館で日本語ドーセントのボランティアを始め、2003年に同博物館の会員組織を代表する Bishop Museum Association Council のメンバーに選出され、現在に至る。他に、ハワイ日米協会理事やハワイ日本文化センターのBoard of Governor 等を務め、日布間の文化交流活動に従事している。海外の訪問国と地域の数は95箇所に及ぶ。

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