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所用時間5min
2015.01.23

ライマン博物館

ハワイ島ヒロに根を下ろした宣教師ライマン夫婦の歴史深い家

デイビッド&サラ・ライマンはアメリカ本土のニューイングランド州からからハワイの人々にキリスト教を布教するためとアメリカの教育を教えるため、宣教師の夫婦として6ヶ月の航海のあと、1832年にハワイ島のヒロの地に、到着しました。この夫妻は結婚後たった24日間でハワイへ向けて旅立ったと言われます。そして生涯一度も故郷に帰ることもなく、ヒロの地で子供7人を育てあげ、宣教師としての生涯を閉じました。

 

1830年の終わり頃、ライマン家族のために建てられたのが今のミッション・ハウスであり、これはハワイ州で最も古い木造建築となっています。1974年にはハワイ州の歴史建造物として指定され、1978年には国家歴史建造物にも指定されました。ハウス内は、当時の生活の姿が再現されており、貴重な家具や調度品も展示してあります。また、ライマン夫婦と7人の子供が生活した当時そのままの家を再現しています。後世になり、ライマン夫妻の子供や孫達により、博物館となり、2006年にはライマン博物館誕生75周年を迎え、現在でもハワイ島、ヒロの人たちの誇りの場になっています。

ライマン博物館、ミッションハウスの外観

キリスト教の布教とアメリカの教育を目指し、学校作りはハワイの各島に広がっていました。1831年にはマウイ島のラハイナに初めての政府公認の学校(現在のラハイナルア学校)が創設されていました。1828年には小さい学校がヒロの街にはできていましたが、60人〜70人の生徒たちの受け入れしかできずにいたので、1836年にライマン氏は、男子のためのヒロ・ボーディング・スクールを約$500の付与で創設しました。付与があまりなかったため、少数人数の生徒たちしか受け入れられませんでした。1838年には生徒たちとともに学校の建設とライマン家族の家の建築を行い、それ以後は生徒数も増え、学校も大きくなって行きました。

 

またライマン夫人は1839年に女子のための学校を作り、そこでは野菜や穀物などを育てる教育を行い、1840年くらいまでには多くの砂糖も生産され、学業と職業のどちらも学べる学校へと成長していきました。

 

 1846年にはカメハメハ三世により、政府公認の学校となり、教師育成や職業訓練などの学校として、発達していきました。ライマン氏は規律などに厳しくし、入学も厳しいものとしました。また、1853年にはハワイ語も英語とともに学習することになりました。

 

 1853年は火災により、学校と教会が燃えてしまいました。その後教会も学校も建て直されました。またライマン夫妻の家にも2階が増築されました。

 

ライマン氏が1874年に退職した後は、ネイティブハワイアンのJ.マカイモコ・ナエオレ氏が校長になり約5年間指揮をとりました。ウィリアム・オレソン氏が1878年〜1886年に校長に就任し、後に、カメハメハ・スクールの創設に貢献しました。

 

ヒロ・ボーディング・スクールはカメハメハ・スクール他、バージニア州のハンプトン・インスティテュートの学校設立の基礎を築く、大切な学校となっていました。

 

現在のミッション・ハウスはライマン家族の生活をしていた場所でした。ライマン夫妻の子孫により、当時のままのインテリアに再現されています。ミッション・ハウスのガイドツアーに参加すると詳しく説明が聞けます。

 

家のフレームにはハワイ固有のコア材オヒア材が使われています。建てられた当初の壁は、今では貴重なコア材を使用していましが、現在はすでにありません。床の部分もコア材を使われましたが、こちらは一部、まだ残されています。

 

壁はプラスター(石膏)で作られ、インテリアはとてもシンプルな作りになっていました。1868年にヒロは大きな地震に襲われました。このときに石膏の壁が崩れ、ライマン夫人は壁紙を使い、補修したと、後に夫人の日記により解明されました。夫人は1833年から亡くなる1885年まで日記を書き続け、後に正式には使われることがありませんでしたが、地質学者などはキラウエアやマウナロアの火山噴火の様子などが書かれてあるのを読み、リサーチしたと言われています。そのくらい夫人の日記には家族のこと、社会のこと、毎日起こった出来事などが事細かに書かれていました。

 

壁紙はあるところでは5重になっていたところもあり、1枚1枚をリサーチし、専門の博物館に分析を依頼した結果、1840年代、1860年代に作られていた壁紙ということも判明しています。

 

近年ではこの昔の壁紙のレプリカを作り、今ではその壁紙がきれいに貼られている部屋もあります。

 

ミッション・ハウスのドアを開けるとすぐに居間があり、左手にはダイニングがあります。このテープルには10名以上が座れ、ライマン夫人は客人には、ニューイングランド地方の料理、お茶、パンやケーキなどを振る舞ったと日記に書いてあります。

 

客人の中には、ハワイ王国の皇族をはじめ、マーク・トウェインやイザベラ・バードなどの多くの著名人もいました。

 

入り口右手には夫妻のベッドルームがあり、ライマン夫人の母からの贈り物のキルトで作られたベッドカバーがかけてあります。ロッキングチェアーやドレッサーは夫人のオリジナルの家具です。壁紙は「Diaper Trellis」という1860年代のオリジナルのパターンを再現し、貼られたものです。

10人以上が座れ、ライマン夫人が料理を振る舞ったダイニングルーム

ライマン夫妻のベッドルーム

2階のソーイングルームにはミシンも置いてあります。1860年くらいまでは夫人は家族の服をすべて手縫いしていました。ミシンが来てからは、ボーディング・スクールのユニフォームも縫っていましたが、そのうち生徒たちにもミシンの使い方や縫い方を教え、後に生徒たちは自分の制服を縫ったと言われています。 

 

ライマン夫妻が亡くなった後は、この家の保存について、子供たちの間で意見が交わされ、末娘のエマ・ライマン・ウィルコックスとその娘たちが先頭に立ち、博物館にすることに決めました。同時にハイリ・ストリートの上に位置していたハウスを、ハイリ・ストリート沿いに90度角度を変え、移築しました。このとき、地下室は長年の雨により腐敗がひどかったため、なくしてしまいました。そして現在の位置のミッション・ハウスとなりました。

 

1931年から1972年までは現在隣にある、博物館の建物内に、家具や生活用品などを展示していましたが、1980年代にミッション・ハウス内のインテリアを改装し、昔を再現し、調度品、家具などをすべて移動。現在のミッション・ハウスをオープンしました。博物館のギャラリーでは昔のハワイの人々の生活(アイランド・ヘリテージ・ギャラリー)、文化、アース・ヘリテージ・ギャラリー、そして特別な展示などが常時開催されています。

ライマン博物館の外観

 

 Lyman Museum & Mission House
276 Haili Street
Hilo  HI  96720
Tel:  808-935-5021
時間:月曜〜土曜 10時〜16時30分
ミッション・ハウス・ツアー:11時〜14時までの間(時間が変更になる場合もあります)(英語のみ)
料金:大人一人$10, シニア一人$8, 子供(6歳〜17歳)一人$3

 

参考資料:

Lyman Mission House
Published by Lyman Museum
http://lymanmuseum.org

  • 藤原 小百合 アン
    Anne Sayuri Fujiwara
    担当講師

    【インタビュー動画あり】
    アーミッシュキルトの盛んなアメリカ・オハイオ州の高校に留学中にアメリカン・パッチワークを習得。メリーランド大学学士号取得。その後ハワイに移住し、マウイ島のハナ・マウイ・ホテルで出会ったハワイアンキルトのベッドカバーに一目惚れをし、ハワイアンキルトを始める。2001年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロ事件の犠牲者とその家族への追悼キルト、『千羽鶴 フレンドシップキルト』を全国のキルターとともに完成させ、2009年9月、9.11メモリアルに寄贈。2011年7月、ハワイで毎年開催される「キルトハワイ」において、オリジナルデザインの「マノアの森」キルトがグランプリ受賞。ハワイ、日本でのレッスンなど、伝統的なハワイアンキルトを広げるため、日々奔走中。15年以上、パシフィックリゾートの「キルトパラダイス」(http://www.holoholo.world/kawaraban/category/quilt/)を連載中。 日本でハワイアンキルト本を数冊出版。2006年よりホノルルフェスティバルにおける伝統的ハワイアンキルト展を毎年開催。2013年よりイオラニ宮殿の日本語ドーセントのボランティアを始め、現在ハワイ在住31年目。

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